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2006年9月 4日 (月)

さいたま市見沼あたり4

今日の見沼代用水西縁あたりの画像です。神社は氷川女体神社です。大昔、武蔵の一宮は大宮の氷川神社ではなく、この見沼に鎮座する氷川女体神社だとする説が昔から言われていました。

見沼の斜面林は昔は素晴らしいものでしたが最近の乱開発により、ほとんどが住宅地となってしまいました。一時は埼玉県が見沼の斜面林を残すため見沼の田んぼ(現在は99%畑となっている)の一部を行政として開発し、開発利益を斜面林の購入資金に当てる案を出しましたが、見沼に全く関係のない自然保護団体の猛反対により挫折したことがありました。彼等は見沼の田んぼを守るためなら斜面林は開発しても良いとの考えでした。本当に残念なことでした。斜面林を開発させないために規制をかける案もありましたが、地主達の反対でこれも挫折しました。首都圏で私有地の自然を守ることは難しいですね!写真は現在としては貴重な残された斜面林と、斜面林の中の農家です。

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氷川女体神社とその周辺の沼群です。昔は沼の中の島に神社があったのでしょう。江戸時代中頃の見沼用水の開削により沼は広大な水田と変わりました。この神社の周辺には昔の面影が僅かに残っています。江戸時代後期、私の御先祖さんは日本第2位の産地である桶川の紅花を中仙道を使って京都の白粉屋や紅屋まで運び、代金を為替にして大阪で現金化しました。その後、舟で大阪から銚子まで渡り、銚子で商売用の干物等を買い付け小船に乗って銚子から内陸水運で上尾あたりまで舟で遡ったそうです。帰りの途中でこの辺りの川を通ったかもしれません。昔は水運の方が盛んだったそうです。東浦和のそばには見沼通舟堀跡があり江戸時代は埼玉の農産物は見沼通舟堀を使って江戸へ入りました。

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見沼あたりの花々です。

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コメント

こんばんは
 斜面林の風景、竹垣や竹林が京都の嵯峨野に良く似ています。
 京都も高さ制限がゆるくなり、どこにでもあるビルが立ち並び、
だんだん俗化されてきて、あまり行きたく無くなってしまいました。
 外国人もがっかりするそうです。
 アゲハ蝶の画像、どうしてこんなに綺麗に撮れるのか不思議です。
 
 

農家というより、武家屋敷のような風格がありますね(^^)
維持していくの、大変だろうなぁ。。


シゲさん、はじめまして。
まーぼーと申します。
先日は、私のブログご訪問頂きまして、ありがとう御座いました。

ブログを始められて2ヶ月半と伺いましたが、とても綺麗な見せ方に驚いております。

写真歴も長く、素晴らしい写真が沢山ですね。私は、写真歴約15年程です。
とは言え、その殆どの被写体は地元の風景だけなので、シゲさんの様に色々な場所の写真を持ち合わせてはいません・・・

私の故郷、栃木県の記事も沢山書かれ、大変嬉しく思っております。

今後とも、宜しくお願い致します。

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