12/10に大宮の氷川さんの大湯祭(十日市)へ行って来ました。16時半過ぎには一の鳥居を越えたのですが二の鳥居あたりから混み始め、大混雑になってしまいました。後ろから押されてカメラを構えられる状態ではありませんでした。屋台は参道だけではなく脇道にまで出ていました。屋台の数は埼玉県一番の多さだと思います。さすがに武蔵の一ノ宮だけのことはあります。
昔、私の叔父が親戚のよしみで氷川神社宮司の東角井家の蔵を開ける時に立ち会ったそうです。蔵の中に酒の薦があり、みんなで開けて飲んでみようと言う話になり、開けてみたそうですが・・・・・!中身は底のほうに黒茶の液体が少々残っていたそうです。臭いが凄く、誰も飲むと言う勇気のある人はいなかったそうです。
昨日は浦和の調宮(つきのみや)神社の十二日町でした。残念ながら昨夜は大宮で忘年会なので行けませんでした。調宮神社も古い神社で大宮の氷川神社より古いかもしれません。大昔はこのあたりまで海岸線があった様で、その頃から続いている神社とも言われています。名前からは大和朝廷の租庸調の倉庫があったのではないかと思います。その傍証の一つにこの神社には鳥居がありません。荷物の出し入れに邪魔だったのかも知れませんね!不思議な神社です。
埼玉県内には古い神社が沢山あります。以前、高麗神社の先代の宮司の弟さんが半年ばかり仕事の手伝いで来てくれた事がありました。その時に色々話を聞きました。高麗家には一子相伝の口伝があるそうで、弟には内容は教えてもらえないそうです。口伝が途絶えた時はとの質問に高麗さんは笑って答えてくれませんでした。どんな口伝なのか興味深々です。高麗家は日本へ亡命してきて武蔵野国高麗郡を朝廷から賜った高句麗の王子・高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を高麗明神として祭った神社で現在の宮司で59代です。武蔵国は朝鮮半島の戦乱を逃れてきた人達の安住の地として大和朝廷から与えられた土地なのかも知れません。大和朝廷は避難民より早く朝鮮から日本へ移住してきた仲間だったのでしょう。埼玉県には朝鮮関係の地名が沢山残っています。私の祖父が2代目の弁護士を継ぐ前に朝鮮で裁判官をしていました。祖父が桶川・上尾には古代南朝鮮で使われていた単語が残っていると話していたそうです。
懐かしい昔を思い出しますね。
参道に面した有名な団子屋さんです。
参道に面しているのですが前の屋台が邪魔になり人が通らない御煎餅屋さんです。結構美味しいです。
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