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浦和市内の玉蔵院の地蔵堂と紅白の梅です。この隣の本堂の前に有名な枝垂れ桜があります。毎年NHKから中継車が出て、ニュースなどで生中継されます。以前、私が施主で法事をしたときに、丁度枝垂れ桜の満開と重なってしまいました。中継の時間と法事がぶつかってしまい、住職が気もそぞろでお経を上げました。後ろに座っていて住職の気持ちが手に取るように分かり、後ろから坊主頭をド突いてやろうかと思いましたが、参列している親戚の手前出来ませんでした。
玉蔵院は市内最古の寺院です。平安時代の創建で弘法大師が開基したと伝えられています。
見沼田んぼの春です。広い見沼を車で駆け回りました。広いのでもう一度行けと言われても辿り着けないと思います。烏瓜の場所は烏瓜の写真を撮りに行きたいので忘れません。
2月21日の小石川後楽園の続きです。ますます田舎の雰囲気ですね!都心の後楽園ドームの隣にこんな自然が残っているのは不思議ですね!小石川後楽園は神田上水の分流を庭内に流し込み築園しました。園内は水が流れていて都心のオアシスのようです。
古今集の藤原敏行の恋の歌です。敏行は在原業平の義理の兄弟です。素晴らしい歌詠みです!
つれづれの
ながめにまさる
涙川
袖のみぬれて
逢ふよしもなし
(意)何も手につかず物思いに耽っていると、長雨に増水する川のように涙の川も水嵩が増してくる。あなたに逢いに行けなくて、私は袖ばかりを濡らして過ごしている。
水戸光圀は黄門様として有名ですが、この話は幕末の講釈師達が作り上げたお話です。助さん格さんは実在しましたが、黄門様が実際に行ったのは鎌倉だけのようです。光圀公は1657年彰考館(史局)を駒込藩邸に作り「大日本史」の編纂に取り掛かりました。後に史局は小石川藩邸に移されました。完成したのは1906年明治39年でした。ほぼ250年もかかった大事業でした。水戸藩は大日本史などの編纂事業に巨額の金銭を注ぎ込み、結果として、光圀が藩主時代は8公2民と言う超重税をかけたため農民の逃散や、一揆の頻発を招きました。また幕末には天狗党の蜂起の鎮圧に勢力を使い切り、幕末の尊王攘夷思想の中心にはなりましたが、幕末の動乱の中心は薩摩・長州に奪われました。15代将軍徳川慶喜が水戸藩の出身だったのも明治維新の中心になれなかった大きな理由の一つだったのでしょう。慶喜には尊王を至上命題とする水戸学の思想が根底にあり京都の朝廷と対立することは無理だったのでしょう。ここでもしも歴史のもしもがあれば、薩摩・長州指導の明治維新は無かったかも知れません。小栗上野介など幕府側高級官僚の指導する明治維新があったかもしれません。小栗上野介は私の尊敬する偉人の一人です。彼が幕末にフランスの援助で横須賀に作った横須賀造船所の3トン・スチームハンマーは幕末から平成12年まで150年近くも動き続けました。これは日本のマザーマシンと呼ばれ、このスチームハンマーで日本の産業を興す工具や部品を造るための機械を造ったのです。日本の全ての工業の母でした。スケールの大きな凄い話です!小栗上野介は幕末にこの施設を作る時「土蔵付き売り家の栄誉が残せる」と言っていたそうです。つまり政権が代わっても次の時代に財産を残せるとの意味です。話が飛びすぎて長くなりました。この話はいずれ近いうちに又したいと思います。
2月21日に上野公園から湯島天神へ回り、最後は小石川後楽園へ行ってきました。湯島天神は勉学の神様菅原道真を祭った神社で、境内の絵馬はほとんどが合格祈願です。湯島の白梅で有名なように湯島は白梅が多い土地です。
明治40年の大和新聞の連載小説で有名になった泉鏡花の「婦系図」は湯島天神を舞台にした話です。この小説の中では、次のお蔦の言葉で有名です。「切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時に言うものよ・・・・。私にゃ死ねと言って下さい」。モデルは泉鏡花自身と夫人の元神楽坂芸者桃太郎、伊藤すずさんです。
湯島天神は江戸三大天神の一つで、江戸時代は幕府公認の江戸三富の一つで富くじを出していました。三富とは湯島天神・谷中の感応寺・目黒不動です。
菅原道真の有名な和歌で道真の死後約100年後の勅撰和歌集「拾遺和歌集」に載っています。
東風(こち)ふかば
にほひをこせよ
梅の花
あるじなしとて
春な忘れそ
上野公園から不忍池
湯島天神
2月16日に新宿へ行く用事があったので、少し早く浦和を出て新宿御苑へ行ってきました。梅は8~9分咲きでした。寒桜も5~6分咲きの状態でした。
やはり梅は良いですね。梅の香りに包まれると心が落ち着きます!桜の花を見ると心が騒ぎます!
古今集より紀貫之の歌。百人一首にも選ばれている歌
人はいさ
心もしらず
ふるさとは
花ぞむかしの
香ににほひける
(意)住む人はさあどうか、心は変ってしまったか。それは知らないけれども、古里では、花が昔のままの香に匂っている。人の心は移ろいやすいが梅の花は昔と変わらず私を迎え入れてくれる。
新古今集より源俊頼の歌
心あらば
問はましものを
梅が香(か)に
たが里よりか
にほひ来(き)つらん
(意)梅の香りにもしも心があるならばそれに向かって問いかけよう。いったい誰の里から匂ってきた来たのだろうか。
2月17日に渡良瀬遊水地へ朝焼けを撮りに行ってきました。17日夕方から天気が崩れる予報だったので、早朝は霧が湧くはずと見当を付けて早起きをしました。渡良瀬遊水地の土手の上に立つと霧が微かに湧いていましたが、土手のそばには湧く気配がないので思い切って遊水地の中ほどへ移動しました。幸いにして川霧が湧き始めました。最初はカメラマンは数人でしたが、やがて遊水地のあちらこちらから人が集まり始め30名以上のカメラマン達が集まりました。久しぶりの霧に皆が興奮し夢中でシャッターを押していました。霧は刻一刻と表情が変わってきます。渡良瀬の霧としては大した霧ではありませんでしたが、今年の冬では久しぶりに湧いた貴重な霧でした。
今回の伊豆高原です。桜は城ヶ崎海岸の河津桜で桜の木の根元には花弁が沢山落ちていました。菜の花は城ヶ崎への道の途中に咲いていました。クリスマスローズはあちらこちらで咲いていました。寒アヤメも一輪だけ見かけました。やはり伊豆高原にはミモザの黄色い色が合います!
伊豆高原の家の二階からの夕景。大室山の上に赤い雲が出ました。木々の向こうは海です。天城連山と伊豆大島も見えるのですが、電線と電柱が邪魔になり写真になりません。東京の人は海と言いますが、地元の人は大室山と天城連山の方が良いと言います。伊豆高原から海と伊豆大島が見えるのは冬だけですので住んでみると地元の人たちの意見に納得します。
富士山は沼津御用邸記念公園の外の海岸からの富士山です。沼津漁港そばに沼津魚市場があります。この時は朝10時過ぎですが買い物客で混雑していました。食堂は11時頃から開きだします。10時頃だと開いている食堂が少ないので営業している店は大混雑します。市場は鮮魚や干物などを売っている店が沢山ありま。買い物をして食堂が開くのを待っています。確かにお土産の魚も食堂の食事も安くて美味しいです!11時頃になると有料駐車場は満杯になります。
昨夜、新しいWINDOWS VISTAのパソコンが配達されてきました。今まで自宅用に使っていたWindows XPのパソコンが動かなくなってきたので買い換えました。本当はもうしばらく待ちたかったのですが、起動するのに20分近くかかるようになってしまい、ついに諦めました。何とか昨夜中に新しいパソコンでメールとインターネットができるようにしました。使えるソフトが未だ少ないので心配です。
11日に東伊豆町稲取の伊豆バイオパークにある梅園へ行ってきました。サファリに隣接している梅園で、なかなか綺麗でした。熱海より南にあるので明るく感じられます。雛のつるし飾りは園内に展示されていました。ペリカンはモモイロペリカンです。園内のレストランの窓ガラスの外側にジッとしていました。最初は人形かと思っていたのですが!タンポポは絶滅危惧種の日本タンポポです。最近少なくなりました。西洋タンポポはガクが外へ開いていますが日本タンポポは開いていません。
古今集から 紀友則の歌
君ならで
誰にか見せむ
梅の花
色をも香をも
しる人ぞしる
(意)あなた以外の誰に見せたらいいのでしょうか、この梅の花の色にせよ香りにせよ、ものの美しさを解するあなたにだけに分かっていただけるのです。
2月11日に河津桜を撮りに河津町の河津川に行ってきました。桜は5分咲き程度で、菜の花が7分咲きでしょうか!菜の花と桜の開花がなかなか合わないのですが、今年は合った様です。11日は風が強く花が風で揺れてしまい、なかなか難しかったです。朝早く行ったので最初は人出が少なかったのですが、途中から観光バスなどが大挙して押し寄せてきてしまい観光客で大混雑となってしまいました。混雑の中で2頭の愛犬のうちのマリアンちゃんの引き綱を持っての撮影でしたので片手撮りとなり、かなり苦労しての撮影でした。
これから桜のシーズンの始まりのはじまりです。梅も盛が始まりますので忙しい季節になります。春ですね!
古今集より 在原業平の歌
世の中に
絶えて桜の
なかりせば
春の心は
のどけからまし
同じく古今集から 惟喬親王(これたかのみこ)の歌
桜花
散らば散らなむ
散らずとて
ふるさと人の
来ても見なくに
(意)綺麗に咲き乱れた桜の花、散りたければさっさと散って欲しい。散らないと言って頑張ったところで、私の昔馴染みは見にも来てくれない。
上の在原業平の歌は惟喬親王の領地で詠まれた歌。業平の歌は名歌ですね。惟喬親王の歌も「散る」節回しが素晴しい歌だと思いますが、少しひねくれた歌かも知れませんね。
2月10日に伊豆高原へ行く途中、熱海梅園へ行ってきました。熱海梅園の梅は例年より少し早い開花ではないかと思います。見頃は今週末頃になると思います。数年前には2月の中旬前に見頃を迎えたことがありました。熱海は梅園で有名ですが熱海桜でも有名です。熱海桜は寒緋桜と山桜の交配で生まれたと言われています。河津桜は寒緋桜と大島桜の自然交配と言われています。毎年この季節には熱海を通りますが梅と桜の両方が咲いているのは久しぶりに見ました。今年は熱海桜が綺麗でした。寒緋桜系は寒さに弱いそうで開花時期は気候に大きく左右されるそうです。
11日は河津に行ってきましたが、まだ蕾の桜もあり咲いている桜も5分咲き程度が多かったです。今年はタイミング良く菜の花が咲いていていました。河津桜の写真は後ほどアップします。
2月3日に渡良瀬遊水地へ行って来ました。天気予報では冷え込んで天気が良いはずでしたが、天気は良かったのですが、冷え込みませんでした。気温は氷点下1度でした。2月にしては春のような暖かい朝でした。そのため今回も霧は全く湧きませんでした。残念無念!霧が湧くのなら堤防の上から撮るのですが霧がないので堤防の中の大沼の湖畔に三脚を立てました。
古今集から百人一首にも選ばれている壬生忠岑(みぶのただみね)の歌。
有明の
つれなく見えし
別れより
あかつきばかり
憂きものはなし
(意)有明の月が、夜の明けたのも知らぬげにしらじらと空に残っていた、あの別れ以来、暁ほど厭わしいものはなくなった。
古今集の逢わぬ恋の中に入っている歌で、女性に逢いに行ったが逢えずに有明(月が空に残ったまま夜が明ける)の月を見ながら帰ってきた時の歌であろうと言われている。藤原定家の絶賛した歌。たぶん忠岑が女性のもとへ忍んでいったところ、先客がいてガッカリして帰ってきた時の歌ではないかな?と思いますが!私は朝霧に逢えずに有明の月を見ながら帰ってきました。思わずこの名歌が頭に浮かびました!
北鎌倉の東慶寺です。早春の花の女王はやはり梅ですね。梅の香りで頭がクラクラしそうでした。
東慶寺は江戸時代は縁切寺・駆け込み寺として有名でした。昔は尼寺でしたが現在は男僧の寺となりました。江戸時代は女性には離婚請求権はありませんでした。当時の日本には江戸幕府公認の二寺だけが縁切寺として認められており、縁切り寺に駆け込めば女性から離婚の請求が出来ました。その縁切寺は鎌倉の東慶寺と群馬県太田市の満徳寺だけでした。満徳寺は鎌倉時代に徳川家康の先祖の領地とも言われている徳川(得川)郷にあるお寺です。もともとその周辺は新田氏の勢力範囲で徳川家康も新田の末裔とも言われています。江戸時代には徳川郷の百姓は脇差を差し大名行列に出会っても土下座しなかったとも言われています。女性がこの二寺に駆け込むと、お寺が相手亭主に呼び出し状を発給し、まずお寺で離婚の調停をします。現在の家庭裁判所の調停と同じようなものですね!その場で亭主が三下り半(離婚状)を書けば離婚成立となります。あるいは話し合いがついて元の鞘に納まるケースが多かったようです。不成立の場合は女性は駆け込み寺で3年(後に2年)過ごせば離婚成立となります。それだけ権威のあるお寺だったのです。この制度は明治6年に女性からの離婚請求権が確立されるまで続いたそうです。現在は東慶寺は花のお寺として有名です。満徳寺は明治になり廃寺とされました。
今日は縁切りについての勉強でした!
ちるとみて
あるべきものを
梅の花
うたてにほひの
袖にとまれる
(意)どうせ何時かは散る梅の花だと思っていればよかったのに、困ったことに匂いが袖に留まってしまった。
同じ時代の大中臣能宣の歌 能宣集から
<女のもとへ紅梅をさしてつかはしし>
なげきつつ
涙にそむる
花の色の
おもふほどより
うすくもあるかな
(意)何度も嘆いては涙で染めた花の色ですが、私の思いに比べれば薄いようです。
恋人のもとへ、手紙に紅梅を差し挟んで贈ったのである。色鮮やかな紅梅を血涙で染めたと言い、それでも自分の恋心の深さに比較すれば浅い色だと主張する。余裕の感じられるユーモアが漂う歌。女の返歌は「うぐひすの涙はさともなきものをいくらそめてか色となるらん」。梅の花なら涙の主は鶯でしょう、そんな小さな鳥がどれほど血涙を注いだものやら。
その女性の名前は何処の誰だか分かっていません。昔の人は余裕と言うか情感が細やかで・・・・!
一昨日、鎌倉へ行って来ました。円覚寺~東慶寺~浄智寺~明月院~海蔵寺~英勝寺~寿福寺と回ってきました。花は少なかったですが蝋梅・梅・水仙・マンサク・椿・・・・等が綺麗に咲いていました。今回は円覚寺です。
西行法師の歌
梅が香を
谷ふところに
吹きためて
入り来ん人に
染(し)めよ春風
西行法師は佐藤義清(のりきよ)と言う北面の武士でしたが、出家し西行と名乗りました。新古今集に94首と最高入集歌数を誇る当時一流の歌詠みでした。新古今歌風とは一味違う歌風で私の好きな歌詠みの一人です。
オリンパスとペンタックスの撮り比べです。ドチラも同じように感じます!
再び西行法師の歌
散ると見れば
匂ひにも
後れ先だつ
ためしありけり
(意)一方で散る花があると思うと、一方では咲く花もある。先後があるとはいえ、人の世と同じくいずれは散り行くもので、無常を示す例である。
一昨日は朝に大船駅で飛び込み自殺があり、鎌倉へ行くのに約1時間ほど余計に時間がかかってしまい浄光明寺には行けませんでした。最近の首都圏は鉄道への飛び込み自殺が非常に多くて、毎日数件はあります。珍しくなくてニュースにもなりません。おかげで電車がいつも遅れます。迷惑ですね!しかし1時間近くも遅れるのは珍しいです。普通は20~30分の遅れで済むのですが!今回はよほど酷い死に方だったのでしょうね!人間生きる自由もあれば死ぬ自由もあると思います。自殺するのはそれなりに理由があるのでしょうが、人の迷惑になる死に方だけは止めてもらいと思います。
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