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2007年5月31日 (木)

忍野村

5月26日伊豆高原へ行ってきましたが、東名道路を使わず中央道で忍野村経由で箱根を抜けて行きました。今回は忍野村の「ますの家」の庭園からです。最後は山中湖からの富士山です。この後、霧と黄砂が出てきて富士山は日曜日まで見えませんでした。「ますの家」は料亭です。ここの庭は綺麗なので有名です。最近、入場料?として200円を箱に入れるようになりました。

忍野村の後で「花の都公園」へ行きましたが、花は全く咲いていませんでした。丁度、端境期だったようです。

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富士山はやはり日本一の山ですね!美しい!この山も万葉の時代には噴火の繰り返しで徐々に今の形に近い山に成りかかっていたのでしょうね。昔の富士山は今の富士山とは姿形が全く違っていたのでしょう。

万葉集から山部赤人の長歌と反歌。山部赤人が歌った場所は静岡県庵原郡の由比あたりと言われています。(安藤広重の東海道五十三次油井)

天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴(たふと)き 駿河なる 布士(ふじ)

の高嶺(たかね)を 天の原 振り放(さ)け見れば

渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行(ゆ)きはばかり

時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不尽(ふじ)の高嶺は

(意)天と地が別れて出来た時からずっと、神々しく、高く壮大な、駿河の富士山。その高嶺を、天空はるか振り仰いでみれば、空を渡る太陽もその背後に隠れる程。夜空に輝く月の光も見えない程。雲もその前を通り過ぎることを憚る程。そして、季節にかかわらず雪が降り積もっている。そんな霊妙な富士の高嶺を、いつの代までも語り継ぎ、言い継いでゆこう。

田子(たご)の浦ゆ打ちて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける

(意)田子の浦を出て広い場所に出ると、真白に富士の高嶺に雪が降り積もっていた。

新古今集などでは下記のような歌になっています。

田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

私は万葉集の歌の方が力強くって好きですが・・・・!新古今集は見せかけは美しく素敵なのですが・・・・!

お詫び・・・・昨日からココログが少しおかしくなっているようで、時々改行等が出来なくなったりブログの写真などが消えてしまったりしています。御迷惑をおかけしますが困ったものです!

2007年5月30日 (水)

年金の問題

年金の問題は大きくなってきています。当然ですよ!こんなふざけた話はないでしょう。国家的な詐欺行為とでも言えると思います。年金は何処へ消えたのか、現在どれだけの資金が残っているのか精査しているのでしょうか!政府と与党(自民党・公明党)は当然調べたはずです。担当していた旧厚生省は全部知っているはずですが、それを公開できないのはそこに日本がひっくり返るほどの不正が存在しているからでしょう。やはり長期政権の膿でしょうね。公明党がいなければ自民党政権は1日と持ちません。弱者の党・平和の党と言っている政党が弱者を懲らしめ戦争への道をまっしぐらに走っているのはどうしてでしょうか。このブログを読んでいる方の中に創価学会のかたもいられるでしょう。組織の判断に従うのではなく自分の頭で考えてほしいと思います。組織の幹部に質問をしてみてください。そして何と答えたか教えて下さい。私には、いま日本の国が滅びに向かって突っ走っているように見えます。

今日の安倍総理大臣と小沢民主党代表の党首討論は酷いものでした。行方不明の5,000万件分はたとえ時効5年を無しにしてももうすでに存在していない(廃棄されてしまっている)年金支払の資料が国になくてどのように証明するのでしょうか?有識者でつくる委員会と言っていますが有識者にも無い証拠でどのように支払いを決定するのでしょうか。有識者の委員会で1件づつ審査をするのでしょうか?滅茶苦茶な話です。皆さん騙されてはいけませんよ。まさに安倍政権は詐欺政権ですよ!先送りをしようとしているだけです。結果は見えています。出来るはずがありません。領収証を保管している人なんてほとんどいないでしょう。時効を無効にしても支払った証拠がなければお話にもなりません。支払った証拠は領収書だけでしょう。銀行の振り込みも5年ぐらいで資料は廃棄しているはずです。きちんと支払っていた人が損をするような、そして、支払っていない人が儲けるような話になっては日本が滅びます。

旧田母沢御用邸公園

5月20日に日光の植物園の後で隣の旧田母沢御用邸へ寄ってきました。御用邸は大正天皇が療養のため長期滞在した場所で、現天皇が第二次世界大戦中に疎開していた場所でもあります。現在は栃木県に管理が移管されているようです。御用邸の建物の中は現在公開されていて写真撮影は自由です。庭園は現在ヤマツツジが満開でした。隣の日光植物園とは接していて、一部旧御用邸の庭が日光植物園に移管されています。

Imgp8089 これは関守石(せきもりいし)とも止石(とめいし)とも言われている茶道での決まりごとだそうです!丸い石に黒っぽい縄(蕨縄や棕櫚縄)で十文字や三つ掛けに結んだもので、立ち入り御遠慮下さいとの意味だそうです。庭園に一つだけ置いてありました。



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2007年5月29日 (火)

4月末の野尻湖とその周辺2

1ヶ月ほど前の4月末の野尻湖畔とその周辺の朝です。今年は春の感じが感じられません。例年より春が遅れていました。4月末でもこの日の朝は氷点下近くまで気温が下がりました。山の険しいのは妙高山です。優しい山は黒姫山。野尻湖周辺は場所にもよりますが、妙高山・黒姫山・戸隠連峰・飯綱山が北東から西に見えます。南は斑尾山・志賀高原の山々が見えます。日本で2番目に古い避暑地で、軽井沢が俗化されたので野尻湖畔に宣教師たちが移って来た土地です。

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2007年5月28日 (月)

コテージガーデンステファニー4

5月23日の那須烏山市のコテージガーデンステファニーの続きです。毎日花の様子が変わってきますので、毎回ガーデンの雰囲気が変化して行きます。バラが毎日のように新しく咲いてきて、そのバラを包むようにクレマチスなど可愛い花がバラの周りを包みこみます。その色の組み合わせは上品で綺麗です。やはりオーナーのガーデニングへの考え方やカラー・コーディネイトの感性なのでしょうね。毎年ビックリさせられます!

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2007年5月27日 (日)

小石川植物園日光分園

5月20日に日光へ行ってきました。中禅寺湖方面は早朝から雨が降り続いていて寒かったです。早朝には雪が少し降ったようで山がうっすらと白くなっていました。

日光植物園の正式名称は「国立大学法人東京大学大学院理学系研究科付属植物園日光分園」と非常に長ったらしい名前です。簡単に言うと小石川植物園の分園で、日光の旧田母沢御用邸の隣地です。ここは山野草の種類も数も豊富なところです。いまはヤマツツジが満開でした。昔はここの植物園は母鹿が子供を日中隠しておく場所で、子鹿をたまに見かけることが出来たのですが最近はいないようです。以前、草むらでガサゴソと音がするので熊でも出たかと思いましたが、葉っぱの間から子鹿が可愛い目をしてこちらを覗いていました。鹿は夜行性なので日中は犬もいないこの植物園が絶好の隠れ家でした。夜になると母鹿が子鹿を呼びに来るそうです。

植物園の花は種類が多いです。小石川植物園の名物ハンカチの木も日光植物園の駐車場の奥に大木があります。イカリソウやヒメウツギ等が沢山咲いていました。中には調査中の札が付いているのもありました。新種ですかね!緑が濃い自然がいっぱい残っている植物園です。日光からの帰り道にお勧めです。

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2007年5月26日 (土)

日比谷公園

5月16日に東御苑の後で日比谷公園へ行ってきました。久しぶりの日比谷公園でした。昔は六大学野球で早慶戦で優勝が決まると神宮球場から三田の本校までパレードをしました。私達はパレードの後で銀座方面の警備に狩り出され、日比谷公園も警備範囲でした。お酒を飲んで大騒ぎして通行人へ絡む馬鹿などを取り押さえ、日比谷公園の噴水に飛び込むアホを助けたり・・・・・!警備の警官に謝りに行ったり大変でした。東京六大学野球で優勝しそうになると校内に優勝準備委員会が出来て、優勝の祝賀会や色々な準備をするわけです。委員は塾生だけで主に体育会と応援指導部が中心となるわけです。縁の下の力持ち役ですね。縁の下の力持ちがいなければ皆が楽しめないわけですから。優勝しそうになると早慶戦の1週間ほど前からほとんど眠る間のない日々となり、優勝できなければ元の木阿弥になります。優勝すると後始末が終るまで数日間続きます。大変良い勉強になりました。

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2007年5月25日 (金)

コテージガーデンステファニー3

5月23日に栃木県那須烏山市のコテージガーデンステファニーへ行ってきました。この日は熊谷で32度を越えた日で、那須烏山も暑かったです。帰りに都賀町の花之江の郷に寄るつもりでしたが、あまりの暑さに頭が痛くなってきたので真っ直ぐ帰ってきてしまいました。

那須烏山市は平成の大合併で南那須町と烏山町が合併して出来た市です。南那須町は財政が豊かでしたが、烏山町は財政に問題がありました。南那須町は農水省の予算で農地の耕地整理を数年前から順次行いました。優良な水田を作る目的で、丸々1年間は耕作が出来ずそれらの補償など大変な出費を強いられます。数年前に完成したのですが、現在は減反の対象となり、耕作されていない水田が目立つようになっています。この話おかしいと思いませんか!お金を無駄に使っていることでしょう。確か、国の予算が大半ですが農協と農地の耕作者にも財政負担がかかっているはずです。一方で減反、他方で優良農地を作るために巨大投資・・・・。農水省には技官が沢山います。農産物の技術士ではなく、ほとんどが土木専門です。農面道路(広域農道)など不思議な道路が存在しますよね。あれは旧国土省の道路ではなく農水省の管理する道路なんです。本来は農業の利便のための道路なのですが・・・・。私も写真を撮りに行く時に度々、広域農道の恩恵にあずかっていますのであまり文句は言えません。昨日は農水省の外郭団体に司直の手が入ったようですが、みんな知っていることです。氷山の一角でしょう。官僚は必要な仕事をするだけではなく、国会議員や地方議員などの政治家や賄賂資金上納業者とグルになって予算を分捕り不必要な仕事を作るのが本性なのでしょうね。そもそも業者からの政治献金は賄賂です。業者が賄賂でなくてなんで政治家にお金を出しますか!泥棒達が泥棒をしても政治献金ならば泥棒としないとの法律を作ったのです。政党助成金の範囲の中で政治家は政治活動をするはずではなかったのでしょうか?話がまたまた飛んでしまいました!

コテージガーデンステファニーはどんどん新しい花が咲き出しています。薄いブルー(紫)の八重咲きのクレマチスと白いバラのソンブレイユ(ほんの少し薄いピンク?)の組み合わせは見事でした。クレマチスの八重は綺麗ですね。ダリヤに似ていますね。バックのピンクのアイリスも綺麗です。

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平和憲法

昨日の夕方に銀座3丁目でいきなりTBSテレビの取材を受けました。憲法改正についてどのような意見をお持ちですかとの質問でした。当然、憲法改正反対!与えられた憲法でも良い憲法なら改正する必要なし。戦後、ベトナム戦争などに参戦しなくてすんだのは平和憲法のおかげ。などと述べました。いきなりだったので言いたいことの半分も言えませんでした。本当に言いたいことは、ヘリ空母型の病院船と輸送船を沢山作って世界中に災害派遣のため常駐させれば、日本は世界中から感謝されるんですが!戦争は勝っても負けても殺し合いですから必ず反対側から恨まれるものです。戦争には正義はありません。ただの殺し合いです。戦争をしない方が戦争をするより安上がりで国連の常任理事国入りにも最短コース(私は日本の国連常任理事国入りには反対ですが)です。アメリカの属国のような日本では天地が引っくり返っても常任理事国入りは不可能です。本当に入れると思っている官僚や政治家がいたとすればそれらの人は世間知らずの本当の馬鹿です。日本は平和憲法を大事にして国際貢献した方がプラスなのです。いまさら馬鹿なアメリカの後始末をする必要はありません。また、日本を守ってくれると言っている信用できない戦争大好きなアメリカのためにこれ以上余計な税金をつぎ込む必要もありません。多国間防衛協定など下手に結ぶと戦争大好きなアメリカの弾除けの先兵として世界中に日本軍を送り込まなければならなくなります。アメリカの軍需産業の餌食となって日本人は死ぬ必要などないのです。日本の防衛のためにと言う人がいます。現在の自衛隊の軍事力は世界で5本の指に入るほどのなのですから、防衛だけならば十分すぎるほどの装備を持っているのです。専守防衛ならば自衛隊だけで十分なのです。北朝鮮問題は確かに頭の痛い問題ですが、みなさんのご近所にも北朝鮮と同じような人が必ずいると思います。危ないからって、その人を殺せますか!いまの中国を見ていると戦前の日本とダブっているように見えます。資源が不足してると外へ出て行って強引に取ってくる。まさに満州や東南アジアへの日本帝国主義の進出と同じです。いまの中国の政治家は戦前の日本人より頭が良いですので、あまり馬鹿で単純な事はしないでしょう。安部総理のお爺さんも戦前の指導者の一人です。戦争を強力に遂行した松岡洋祐も(安部総理の叔父である元総理大臣の佐藤栄作は松岡の娘婿)安部総理の親戚です。戦争へまっすぐに走って行った政治家達です。同じような考えを持った単細胞のお坊ちゃま政治家の総理大臣には困ったものです。危ない危ない!日本も少し頭を使わないと戦争になってしまいます。7月の参議院選挙の投票には本当に注意しないといけません。このままでは戦争への道へまっしぐらになる危険性があります。小泉の時代が懐かしいですね。小泉はいい加減な男でしたが安部より頭が良かったのでしょうね。

2007年5月24日 (木)

皇居東御苑

5月16日に東御苑から日比谷公園まで行ってきました。東御苑は都心の中心地にある緑のオアシスです。苑内は良く手入れがされていて綺麗です。特に二ノ丸庭園は何時行っても心が和みます。天皇制が残ったから東京の中心地に沢山の緑が残ったのでしょうね。その点では評価に値しますね!

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2007年5月23日 (水)

雲巌寺と法輪寺

5月12日、栃木県の雲巌寺と法輪寺へ行ってきました。

雲巌寺は禅寺の日本四大道場のひとつです。他は筑前の聖徳寺・紀州の興福寺・越前の永平寺です。雲巌寺は仏国国師の開基で臨済宗の禅寺です。栃木県の旧黒羽町(現大田原市)の北東部に位置する八溝山への道の途中にあります。八溝山の山頂は栃木県と福島県と茨城県の県境に位置します。八溝山はその名が示すとおり、八溝山地を代表する山で、山地の最北端にして最高峰の山となっています。山頂には八溝嶺神社があり、古くから山麓の人々の信仰の対象となっています。お蕎麦でも有名です。水が美味しいのですね。

雲巌寺は新緑も綺麗ですが秋の山モミジの紅葉は見事です。私もあちらこちらへ行っていますが、雲巌寺の紅葉はトップクラスの美しさです。

仏国国師が雲巌寺を開いたばかりの頃の歌。

     月はさし

   水鶏(くいな)はたたく

     槙(まき)の戸を

   あるじがほにて

   あくる山風

(意)月は隙間から射し込んで入れろと言い、水鶏は叩くように鳴いて入れろと言う。そんな我が庵の槙の戸を、まるで主人ぶった様子で開ける山風よ。

仏国国師が雲巌寺に庵を作ったときの歌のようで、昔は寂しい土地だったと思います。後嵯峨上皇の第三皇子と言われている仏国国師が武蔵野国から那須の国へ辿り着き黒羽の山の中に庵を結んだ時でしょう。

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次は西行桜で有名な旧湯津上村(大田原市)の法輪寺へ行ってきました。この法輪寺は神仏混淆の寺院です。西行法師がみちのくへの旅の途中このお寺に立ち寄った時に、桜の木に杖を立てかけ、この桜のたもとで有名な歌を歌っています。現存する桜は樹齢800年で西行法師が杖を立てかけた桜の孫のようです。そのほかに桜の大木が数本あります。桜の咲く頃は綺麗でしょうね!来年は挑戦します。糸桜はヒガン桜の枝垂れの大きな桜を糸桜と呼びました。

     盛りには

   などか若葉は

     今とても

   心ひかるる

   糸桜かな

旧湯津上村は昔の那須の国の中心地でした。法輪寺から数キロのところに国宝「那須国造(ナスノクニノミヤツコ)碑」があります。日本三大古碑の一つです。この古碑は水戸光圀公が地元の人達の話を聞いて漫談の助さん役であった国学者の佐々木三郎宗淳を差し向け調査させ、風雨を避けるため碑文の上に建物を建てさせました。

碑文の大意は・・・・
  
永昌元年己丑の四月に、飛鳥浄御原の大宮から、那須国造の追大壹でありました那須の直葦提(あたい、いで)は、”評督”との官職を授かりました。そして庚子の歳の正月二日壬子の日の辰の節に、長逝しました。そこで遺嗣子の意志麻呂を首とします私共は、碑銘を立て遺徳を頒し、故人を偲び祀りました。
 うやうやしく仰ぎ奉りかえりますと、長逝しました公は、広氏の尊い後胤で、那須国の柱、朝廷の重鎮とも言うべき方でありました。その一生は、浄御原の大宮より追大壱にあげられ、さらに評督職を下賜されて、二度にわたっての光栄にあづかり、光輝のある命脈を高めました。

碑文は冒頭3行に漢字を用いた和文脈で永昌元年(689)の(「永昌」は後周則天武后の元号で持統天皇3年にあたる)葦提の評督任官および「庚子年」すなわち文武天皇4年(700)の死去記事と息子と思われる意斯麻呂らによる本碑建立の意を記す。

今回は古碑には寄れませんでしたが古碑のそばには道路からも沢山の古墳を見ることが出来、この地が那須の国の国造家の中心地であったと思われます。那須与一は那須国造の子孫とも言われています。豊臣秀吉の小田原攻めまで烏山城を中心に栄えた那須家は那須与一の子孫です。

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2007年5月22日 (火)

4月末の野尻湖とその周辺1

4月末の野尻湖とその周辺です。今年は雪が異常に少なかったようですが3月末の厳しい冷え込みで桜やコブシの開花がかなり遅れてしまいました。例年は満開のはずの桜が蕾がまだ堅そうな桜もありました。黒姫の奥あたりは10日以上遅れているようでした。

野尻湖から数キロの集落にある枝垂れ桜の巨木と桜達です。このあたりの桜は豪雪で雪の重みに耐えられず枝が折れてしまうので背が高く伸びることができません。

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2007年5月21日 (月)

バガテル公園

5月4日に伊豆の河津町のバラで有名なバガテル公園へ行ってきました。バラは咲き初めで花の数は少なかったです。5月中旬から本格的なシーズンになっていると思います。今年は伊豆半島の春は遅れ気味です。3月末の冷え込みが厳しかったようです。

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ルイ君とマリアンちゃんは沢山のワンちゃん達に、この公園で会いました。我が家のワンちゃん達はシャイなので沢山のワンちゃんに圧倒されていました。最後の写真はマリアンちゃんが逃げ出したところをパシャリ!

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2007年5月20日 (日)

黒羽町大雄寺(だいおうじ)2

5月12日の栃木県大田原市黒羽町の大雄寺の牡丹の続きです。今年最後の牡丹になると思います。来年まで牡丹はしばらくお別れです。

黒羽城は那珂川のかたわらに立つお城(陣屋)で天守閣がなく、陣屋の様式ですが上杉景勝への備えとしての規模を持つお城です。町には鮎を扱っている店が多いですが、(株)高橋商店(☎0287-54-0105)の鮎の甘露煮はお勧めです。鮎の塩焼きは普通の味ですが、ここの甘露煮は少々山椒の香りが強いですが絶品です。

額は以前は黒羽城の城門に掲げられていたそうです。現在は大雄寺の本堂廊下に掲げられています。「中庸」出典で、「衽金革 死而不厭」(常に兵器甲冑を離さずして、戦闘を事とし、死するも厭わない)。大雄寺は曹洞宗の禅寺で開山して約600年です。

夢窓疎石(むそうそせき)の歌。(一般には夢窓国師と呼ばれることが多い)

夢窓国師は鎌倉・南北朝時代の有名な禅僧で後醍醐天皇の勅願で南禅寺に住み、天龍寺を開き、庭園造りの作庭では有名。その後に北条高時に請われ鎌倉の浄智寺・円覚寺に住み、瑞泉寺を開き・・・・・・!その後、足利尊氏の帰依を受け、南朝と北朝の間を取り持つなどその当時では大変なお坊さんでした。生前も没後も天皇や上皇より贈られた国師号を幾つも持っている凄いお坊さんでした。夢窓国師は大雄寺から車で20分ほどのところにある雲巌寺(うんがんじ)を開いた仏国国師(後嵯峨院の皇子)の弟子で、夢窓国師も若い時に雲巌寺で修行をしました。

     まろくても     

   まろかるべきは

     心かな

   角のあるには

   物のかかるに

(意)円い上にも円いのが良いのは心である。角があるとなると、物がひっかかるから。

まさに禅宗の道歌だと思います。この歌のように生きれば敵は出来ないのでしょうね。私はこの和歌のように生きたいと思っていますが、これがなかなか難しい。皆さんもこの和歌をわすれずに心掛ければ楽しい一生を送れるかもしれませんよ!保証は出来ませんが。

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2007年5月19日 (土)

我が家の新しい庭

まだ完全には完成していませんがほぼ出来上がってきた我が家の庭の花々です。以前は土地を某宗教団体へ教会と住居として貸していたのですが、5年近く地代を払ってくれないので私の顧問弁護士から内容証明を出して支払いを督促しました。回答はお金が無いので支払えないとの事でした。立ち退きの専門業者に依頼して、底地買取りで買い戻しました。結果は、今まで得た地代より立ち退きの費用の方が多かったと思いますが、裁判を起こさずに解決できた事には満足しています。顧問弁護士に結果を報告し確約書の作成を依頼したのですが、顧問弁護士も話し合いの結果でまとめ上げた事にビックリしていました。相手は全国区の宗教団体の下部組織で、とてもまとまらないと思っていたようです。余計なお金がかかりましたが、やってみれば出来るものです。いままでは自宅の南側に神殿が城壁のように立ちふさがり、1年中ほとんど日が当たらない自宅でした。昨年、隣を取り壊してからは我が家は一転日当たりの良い家になりました。それにしても隣との交渉中に隣の教会の上部組織の教会長も立会ましたが何時も平身低頭でした。しかし当事者である隣の教会長は何時も威張っていました。決済金は現金にしてほしいとの事でしたので、最後に現金でボストンバック1個分ほどの現金を渡しました。1枚づつ数え終わった後に、初めて私に向かって頭を下げました。まあ、そんな男ですからマトモナ一生が送れるはずがありませんね!仲介した業者の社長も上部組織の教会長も呆れていました。

もともとはここに住むつもりなどなかったのですが、相続税が払えず銀行から借金して税金を取りあえず支払ったのです。しかし借入金は返済できる金額ではないので、銀行への返済のために住んでいた住居を売却し、今の土地に家を建てて引っ越してきたのです。考えてみれば馬鹿みたいな話です。

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2007年5月18日 (金)

コテージガーデンステファニー2

5月12日に最後に那須烏山のコテージガーデンステファニーへ行ってきました。8日にも行きましたが花は8日より一段と咲き出していました。これからの天候が心配ですが、雹などが降らないで適度な雨が降ればどんどん花が咲いてくると思います。

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2007年5月17日 (木)

花之江の郷2

5月8日の花之江の郷の写真です。クリンソウが綺麗に咲いていました。

菖蒲(あやめ)や杜若 (かきつばた)などの季節になりましたね!湿地に生えて葉脈が目立たないのがかきつばた、湿地以外に生えて葉脈が目立たないのがあやめ、どこに生えていようが葉脈が目立つのはしょうぶだそうです。私には見分けがつきません。昔、源三位頼政(げんさんみよりまさ)と言う武将が鵺退治に功があり、天皇より褒美として女官を一人賜う事になり美女の中から一人を選ぶように命ぜられた時に詠った歌。選んだ美女を「菖蒲の前」と呼んだそうです。頼政は当時の代表的な歌詠みの一人でした。この歌が「いずれ菖蒲か杜若」の語源です。源頼政は後白河院の次男の高倉宮以仁王(もちひとおう)の打倒平家の令旨に従い準備不足のまま平家への反乱へ踏み切り平家の軍勢と宇治川で戦い、敗れて後に平等院で自害をしました。

     五月雨(さみだれ)に

   沢べのまこも

     水たえて

   いづれあやめと

   引きぞわづらふ

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2007年5月16日 (水)

黒羽町大雄寺(だいおうじ)1

4月12日に栃木県大田原市黒羽町(くろばねまち)の大雄寺へ行ってきました。牡丹で有名なお寺で、13日は尺八と琴の演奏会が本殿前の牡丹園で行われることになっていました。12日は朝8時過ぎにお寺の境内に着きましたが1時間半ほど写真を撮っている間、誰も訪れて来ませんでした。静かで良い時間を過ごすことが出来ました。

大雄寺は黒羽城址の隣にあり、黒羽城主大関氏の菩提寺です。大関氏は武蔵七党の児玉党の出と言われていて、地頭として下野の国へ下ったと言われています。大関氏は那須氏(那須与一の子孫)の重臣として那須氏の本拠であった烏山城へ詰めていたり、那須氏に対して反乱を起こして佐竹氏や大田原氏と組んで那須氏と戦ったり戦国時代は激しい動きをした一族です。豊臣秀吉の小田原攻めでは、いち早く参陣し、本領を安堵されました。かたや那須氏は参陣が遅れたため領地を召し上げられてしまいました。その後徳川氏に随身し上杉征伐では上杉氏の押さえとして黒羽城に在城しました。その後は一度も国替えが無く、明治維新まで19代続きました。関東の外様大名では大田原氏と大関氏だけが明治維新まで国替えされることがなく続きました。

話は脱線しますが、武蔵七党とは実際は明確に七党ではなく、もっと党派がありました。そもそも平家と源氏と藤原氏の3系統から武蔵国の役人として都から下って来た役人が土着し、それぞれ地名を苗字として名乗りました。彼らは都の本家と密接に関係し武蔵国の大族として栄えました。この3系統に入らない武蔵国生え抜きの武装開拓農民が武蔵七党です。関東地方は圧倒的に平家が多く、源頼朝の旗揚げには関東の大族である平家の頼朝側への参戦で成功することができました。頼朝は何時、平家の秩父氏や千葉氏が裏切るか心配だったでしょうね。だから鎌倉から動けなかったのかも知れませんね!

話が違いますが黒羽町は市町村合併で大田原市になっていました。知りませんでした。何か情緒が無くなってしまいますね。

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2007年5月15日 (火)

伊奈町バラ園

5月13日母の日に母の入所している大宮の介護施設のレストランで母を囲んで長兄夫婦と私たち夫婦で一緒にお昼御飯を食べました。母は元気そうでしたが年が96歳ですので・・・・!母の入所している施設は長谷川工務店の100%子会社が経営している施設で、スタッフも設備も日本の水準としては非常に高いと思います。その分安心して預けておけます。施設の1階には別組織ですが内科医院があり、施設の中も看護師が日中2名夜間1名常駐しています。次兄の医院からも車で10分ほどです。隣の棟には動けなくなった方々を24時間介護する施設が附属しています。以前、父の法律事務所で修業した弁護士さんが怪我で歩けなくなり、昨年弁護士の長兄の紹介で夫婦でこの施設に入所しました。入所して半年ほどで車椅子から解放され、今では杖で歩けるようになりました。リハビリ施設もあり鍼灸師やマッサージ師達も常駐しているのです。また屋内プールもあります。この施設は健常者も入所しています。東武野田線の大和田駅から歩いて5分ほどです。施設の隣にはスナックなどもあり、施設から自然の抜け道がスナックまで通じています。みなさん楽しくやっているのですね!この施設から東京の会社へ出勤する人もいるそうです。

食事の後で私たちだけで埼玉県伊奈町の町制施工記念公園バラ園へ行って来ました。バラが綺麗でした。昔から伊奈町は果樹とバラで有名なところでしたが、町内が東北・上越新幹線で3分されてしまいました。見返りにモノレールが走るようになったのですが赤字続きです。新幹線の上野乗り入れの条件が埼京線の新設とこのモノレールでした。それからしばらく経ってからですが、もう一つ極秘で東武野田線へのJRの乗り入れの話も進んでいてJRの京浜東北線を快速運転で庄和~春日部~岩槻~大宮と走らせ、東武線を各駅停車で走らせる計画でした。そのためにJRの操車場を庄和町に作る計画でした。JRの大宮駅へ入れる線路は傾斜の問題などがあり東大宮方面まで一度上げて大宮駅の東武野田線ホームへ入れれば可能とのことで、大宮駅を大改造して最終的には現在ほとんど使っていない地下を通っているJRの貨物線を使って東武線野田線を池袋へ入れて東武伊勢崎線~東武野田線~東武東上線を結ぶとの壮大な計画でした。当時は技術的には可能との判断をJRの技術担当から受けていました。この件は外に漏れると大変な事になるので極秘で進めていました。当時の計画書の一部はまだ私の事務所に寝ているかも知れません。この話は当時の国鉄の技術担当者から何か新しいことをしないと仕事がなくなるとの相談があり、やるな大きなことをしようとこちらから持ちかけた話でした。残念ながら日の目を見ない幻の計画でしたが可能性はかなり高かったと思います。いまは残念ながらスケールの小さい人たちばかりで、このような事を考えられる人がいなくなってしまいました。

かなり脱線してしまいました!綺麗なバラを楽しんでください。

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バラ園でロイヤルハイネスが咲いていました。私の一番好きなバラです。青春時代の色々な思い出がうかんでくるバラです。薄いピンクなので傷みやすいですが、この花を見るのは20年ぶりでしょうか!私の好きな上品な色です。

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2007年5月14日 (月)

飯山市の北竜湖と小菅神社

4月30日に飯山市の菜の花公園の後に北竜湖へ行ってきました。ここは菜の花と新緑が綺麗なところです。ほんの少しガスが出ていましたので画像の色が少しおかしいです。雪をかぶった山は妙高山です。北竜湖の桜はほとんど散っていましたが、散り残っている桜も少々ありました。

西行法師の山家集から

     葉隠れに

   散りとどまれる

     花のみぞ

   忍びし人に

   逢ふ心地する

(意)葉がくれにわずかに散り残っている桜の花を見ると、心ひそかに思っている人に逢えたような気持ちになる。

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小菅神社の糸ザクラ。エドヒガン桜の枝垂れを糸ザクラと呼ぶそうです。北竜湖の入り口のそばにある神社です。この神社は古い神社で白鳳8年に創建されたそうです。中世には信州における修験者の道場として戸隠・飯綱と並び称されていたそうです。昔は小菅元隆寺と呼ばれていました。武田信玄に攻められて焼き討ちをされましたが、上杉謙信が再興したそうです。映画「阿弥陀堂たより」で有名になった阿弥陀堂は山を一つ越えたところにあります。私はまだ見ていない映画です。近いうちにDVDを借りてこようかと思っています。飯山市は神社仏閣の多い城下町で、昔から教育熱心な土地柄です。観光協会もお寺を回るコースを紹介しています。

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2007年5月13日 (日)

花之江の郷1 エビネ

5月8日に栃木県都賀町の花之江の郷へ行ってきました。エビネがほぼ満開に近い状態でクリン草も綺麗に咲いていました。エビネは年々種類も数も増えているようです。今回はエビネの写真をアップします。

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2007年5月12日 (土)

旧牟礼村の桜たち

4月30日に旧牟礼村、現在は飯綱町の桜を撮りに行ってきました。牟礼は昔から花が綺麗なところです。特に桜は前回アップした高山村ほどではありませんが、素晴らしい古木があります。

西行法師の山家集から

     わきて見ん

   老木(おいき)は花も

     あはれなり

   今いくたびか

   春にあふべき

(意)桜の老木は格別に目をとどめて賞よう。花をつけることが少なくなった木は、我が身と同様に、これから先に何度春に出会えるのだろうか。

年を取ってくるとこの歌のような感じが分るようになってくるのです。悲しいことですが!

地蔵久保のオオヤマ桜。

日清戦争の戦勝を記念してこの地に植えられました。この桜の子供達がこの地域に多いです。色が濃く非常に目立つ桜で県道のわきにあるので昔から有名でした。それでも昔は地元の人達が桜の下で酒盛りをする程度でした。この数年は非常に人出が増えマナーの悪さが目立っていました。今年から桜の保護のため根元には立ち入り禁止となりましたので一安心ですね。

白い花はコブシです。地元の人によると4月28日は桜の開花が2分咲き程度だったそうですが、30日に一気に満開となったそうです。山の桜は都会の桜と咲き方が違います。自然のままに突然咲き出すこともあるのですね!

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袖之山の枝垂れ桜。

この桜は日本画家の中島千波氏の「袖之山枝垂桜」の画題となりました。樹齢は300年以上と言われています。ここも最近は人出が多く、写真を撮るのが大変です。

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丹霞郷(たんかきょう)。

桃の花が綺麗なところです。山は妙高山・黒姫山・戸隠連峰・飯綱山を望めます。今年はこの地域全般に花の開花が少し遅れています。桃の花が満開になるとあたり一面がピンク色に染まります。人の顔までピンクになります。

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2007年5月11日 (金)

コテージガーデンステファニー

5月8日に3週間ぶりに那須烏山町のコテージガーデンステファニーへ行ってきました。綺麗に花が咲きだしているとの情報を貰いました。まだ花の数は少ないですが、これから6月中旬まで毎日花の様子が変わってくると思います。6月の初めにはお花で埋まるようになると思います。オーナーが忙しくてほとんどガーデンに来ることが出来ないそうで、せいぜい週に一日来れれば良いほうだそうです。

私は花を写真に撮ることは好きなのですが、花の名前が苦手です!

昨日の大嵐で宇都宮方面の一部地域で雹が降ったようです。野菜や果物そして花や野草は雹に襲われればひとたまりもありません。被害がなければ良いのですが!こればかりは人間の力では如何ともしがたいです。

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ガーデンの近所のツツジです。

お地蔵様の脇に馬力神とあります。馬頭観音様かも知れませんね!

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2007年5月10日 (木)

飯山市菜の花公園

4月30日に長野県飯山市の菜の花公園へ行ってきました。今年の菜の花は花の出来が大変良いようでした。菜の花公園の後で北竜湖へ回りました。北竜湖は近いうちにアップします。菜の花は気温や肥料の量と施肥の時期によって開花が大きく左右されるそうです。時々、飯山周辺の菜の花の開花が5月中旬近くまで遅れるときがあります。菜の花祭りが大変ですね!

北信州は昔から菜の花が有名でした。特に飯山市から野沢温泉にかけて菜の花で有名なところです。野沢菜漬けでも有名です。明治時代には照明用の菜種油を採るために北信州は菜の花の栽培が盛んになりました。隣村の豊田村出身の作詞家・高野辰之の「朧月夜」の菜の花でも有名です。作曲は岡野貞一です。二人の組み合わせは「春の小川」、「紅葉」などの作詞作曲で有名です。最近は学校で教えないのでしょうか?北信州は菜の花畑や小川が流れ自然が一杯残っています。歌の2番の鐘の音は高野辰之の生家からほど近くにある「真宝寺」の鐘の音といわれています。

朧月夜

1.菜の花畠に、入日薄れ、
  見わたす山の端(は) 霞ふかし。
  春風そよふく、空を見れば、
  夕月かかりてにほひ淡し。

2.里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
  田中の小路を たどる人も、
  蛙(かわず)のなくねも、かねの音も、
  さながら霞める朧月夜。

菜の花公園の下を流れるのは千曲川です。やがて新潟県に入り信濃川と名前を変えます。

風雅集から順徳院の歌。

順徳院は後鳥羽院とともに鎌倉幕府への討幕を企図して承久の変をおこしたが、敗れて後、佐渡に流され最後は絶食して命を絶ったといわれている。21年間の佐渡配流中に佐渡を歌った歌は一首も無かったそうです。

     ちくま川

   春ゆく水は

     すみにけり

   きえていくかの

   峰のしら雪

(意)春の千曲川を流れてゆく水は澄み切っている。消えて何日も経っていない、峰の雪・・・雪解けの水だから。

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2007年5月 9日 (水)

高山村 赤和観音と黒部の桜

4月28日、高山村の水中(みずなか)の枝垂れ桜の次に赤和観音の枝垂れ桜と黒部のエドヒガン桜へ行ってきました。高山村の他の主な桜は葉桜になっていたようなので回らないで野尻湖へ回りました。

赤和観音の枝垂れ桜は今年は花の付きが非常に悪かったです。鳥に花芽を食べられたとのことでしたが、それだけとは思えません。なんとなく桜の木に元気が無く枝も折れていたようです。屋根は赤和観音堂の屋根です。例年は下から見上げると枝垂れの間から観音堂の屋根が見えるのですが・・・・!赤和観音の枝垂れ桜は樹齢約200年といわれています。赤和観音へ向かう途中で一人で歩いて写真を撮っている若い女性と少し言葉を交わしました。なかなか感じの良い女性でした。この後、黒部のエドヒガン桜へ向かう途中で赤和観音に向かって歩いている彼女を見かけました。私は黒部で大雨と雷に遭遇してしまいました。丁度、彼女が赤和観音で写真を撮っている頃ですので無事に帰れたでしょうか、少々心配です。

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黒部のエドヒガン桜は樹齢約500年と言われています。黒部のエドヒガン桜までの途中の道にも桜の巨木が沢山あります。高山村では大したことがない桜なのかもしれませんが、私にとっては凄い桜です。時間がないので遠くからパチリでした。下の写真の4,8,9,10,11,12枚目が黒部のエドヒガン桜です。菜の花畑と黒部のエドヒガン桜を組み合わせて撮るのが定番です。写真を撮っているうちに雷が鳴り出して大雨が降ってきました。地元の人達が大慌てで観光客達を避難させていました。山の雷は恐いです。

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2007年5月 8日 (火)

高山村 水中(みずなか)の枝垂れ桜

4月28日に野尻湖への途中で桜で有名な長野県高山村の枝垂れ桜を撮りに行きました。この村には200年以上の桜の巨木が沢山あります。長野県も福島県も桜の巨木が多いところで、樹齢200年に満たないものは「洟垂れ小僧」と呼ばれています。200年を越えてやっと一人前なのでしょう。ここ水中(みずなか)の枝垂れ桜も260年ほどの桜で1742年に桜の木の下の小さな祠を勧進したときに植えられたとの記録が残っているそうです。

水中(みずなか)の枝垂れ桜はエドヒガンの変種と言われています。少し白っぽい色をしています。数年前に吉永小百合の主演映画に使われました。このとき満開との情報で車で行ったのですが、映画撮影のため車両の乗り入れ禁止で中に入れず、満開の水中の枝垂れを見る機会が失われてしまい非常に残念でした。今回は満開を少し過ぎていて、満開より少し白い色になっていました。例年より開花が遅れたためカメラマンが非常に少なかったです。開花が遅れたお陰で連休の最初の日に水中の枝垂れ桜に逢えました。水中の枝垂れ桜の満開の時の美しさは秀逸だそうです。ここの桜は美しさを上手く表現することが非常に難しい桜です。光線の具合で桜の色が微妙に変化します。デジカメには難しい桜です。

枝垂れ桜の回りにはプラムの白い花が咲いていて綺麗です。プラムとは李(すもも)で「李下(りか)に冠を正さず」(疑われやすい行動は慎んだ方がよい)で有名です。

万葉集に大伴家持の歌が載っています。

     わが園の

   李の花か

     庭に散る

   はだれのいまだ

   残りたるかも

(意)我が家の前栽の李の花が散ったのだろうか。それとも、はらはらと庭に降り落ちた斑雪が消えずに残っているのだろうか。

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2007年5月 7日 (月)

小諸懐古園 小諸城址

4月28日、野尻湖への途中小諸ICで降りて、懐古園へ行ってきました。普通の桜は前日の風でほとんどが散ってしまいましたが、紅枝垂桜が綺麗に咲き残っていました。朝早かったせいでしょうか、人も少なくユックリと回れましたが、途中から黒い雲わきおこり雨が降ってきてしまいました。最後の写真は私が毎回ここの懐古園に来た時、必ず寄って買っていく「くるみおはぎ」が美味しいお店です。

古今集から凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)の歌。

     雪とのみ

   ふるだにあるを

     桜花

   いかにちれとか

   風のふくらむ

(意)ただもう雪が降るように散っているのに、このうえ桜の花がどのように散れということで風が吹くのだろうか。

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2007年5月 6日 (日)

須坂市臥竜公園と坂城町

ゴールデンウィークは野尻湖畔と伊豆高原で過ごして来ました。道路の大混雑を避けるため昨日早めに伊豆高原から帰って来ました。写真の整理に時間がかかりますので、少し古いですが前回の野尻湖からの帰りの写真です。

4月8日野尻湖からの帰り道に須坂市の臥竜公園と坂城町へ行ってきました。須坂市の臥竜公園はさくら名所100選に選ばれている桜の名所です。桜祭りは始まっているのですが桜は咲き始めの状態でした。ここのところ北信地方は冷え込んでいました。ここの公園は北信五岳(ホクシンゴガク)を望める公園です。北信五岳とは飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山を総称する呼び方で、長野県と新潟県の県境近くにある単独峰です。

坂城町は戦国武将の村上氏の居館のあった土地で、村上義清は武田信玄に追われて上杉謙信に庇護されました。村上氏の居館あとは満泉寺となっています。坂城町へ行ったのは坂城町にある「ながの ROSE」へ行くためでした。バラの専門店で最近は楽天ショップに出展しているそうです。綺麗なバラが沢山咲いていました。

臥竜公園

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坂城町

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2007年5月 5日 (土)

薔薇 ながのROSE

4月8日野尻湖からの帰り道で、坂城町のかねてから気になっていた看板の案内を尋ねて薔薇の生産会社へ行ってきました。一年中薔薇を生産しているとのことで以前から興味があったのですが、やっと今回訪問することが出来ました。付属している薔薇園の写真です。

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2007年5月 4日 (金)

花の丘農林公苑

4月21日さいたま市の花の丘農林公苑へ行ってきました。チューリップは終わりかけでした。他の花々が咲き出していました。花の丘農林公苑も素晴らしいですが、このあたりの農家の庭に色々な花が咲いていていて綺麗でした。

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2007年5月 3日 (木)

清澄庭園

4月23日夕方閉園寸前に行ってきました。

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2007年5月 2日 (水)

和光樹林公園

4月22日秋ヶ瀬公園の後に和光樹林公園へ行ってきました。途中、私が卒業した高校の脇を通ってきました。東上線の志木駅のごくそばで、私が通学をしていた頃は5万5千坪の敷地がありました。私の卒業後に大学の校舎や高校の校舎を作るため約半分以上を売却してしまいました。昔は農業高校で私が入学する少し前に普通高校へ転換しました。当時の先生達は学徒兵として出征し、敗戦により戦地から帰ってきて、これからは農業こそが日本の基礎を作るとの信念に燃えて大学の教職を離れて志木に農業高校を作ったようです。私達生徒も先生達も週に数時間は校内の農場で汗を流して畑を耕し雑草を抜く農業をしました。炎天下の農作業は厳しいものがありました。夏休期間中も数日間は必修として農場で働くために全国から帰ってきました。水田以外の色々なものを作りました。野菜や果物等、毎年11月はじめに大地の恵みの収穫祭をしました。収穫したジャガイモなどをドラム缶で茹でて塩を付けて食べるのです。美味しかったですよ。その他にイチゴや葡萄なども作りましたが収穫される前に、みんなお腹を空かせた生徒達に食べられてしまい収穫は出来ませんでした。在学生はほとんどが地方出身で日本中から来ていました。高校のそばに下宿する者、都内で下宿する者、帝国ホテルを定宿にして志木まで通ってくる者など色々でした。授業中に学校を抜け出し、近所で下宿している生徒の家に集まり昼からスキヤキパーティ、当然日本酒つき。真赤な顔をして授業に戻っても現行犯逮捕されない限り飲酒や喫煙では処分はされない学校でした。学校の中でも喫煙していても黙認してくれる散歩道があり、別称「モクの道」と呼び、先生がそこを通りかかると火には気を付けろと声をかけてくれます。その場所から一歩でも出て煙草を吸うのを見つかれば、即刻停学でした。入学した頃は学校の敷地の真ん中に野火止用水が流れ、農場から外を見ると農家が畑や森のあいだに点在するのどかな土地でした。校内には柿の木が数えられないほど沢山植えられていました。農業高校時代は東京へ出荷していたそうです。高校からは2年連続して落第か退学にさえならなければ自動的に大学に進学できました。そのために在学生の中には20歳過ぎた生徒もいました。私は学校指定の風紀委員長でしたので私の席は先生の指定で周りが全部4~5年生の真ん中に一人で座らせられました。担任の先生から「君に頼む」と言われてしまい猛獣使いと言うより猛獣達の使い走りをさせられていました。私の委員長時代は処分される生徒が大幅に減りました。それは風紀の取り締まりの前日に学校から私に連絡があるので、当日池袋駅と志木駅に下級生を張り付けてタバコは駅の構内のゴミ箱に捨てさせ、学帽など問題の生徒は校門から入らず塀を越えて校内に入るように手配したためです。先生たちも私のしている事は知っていたはずですが、すべてがのんびりとした素晴らしい高校でしたので、あまり細かいことは言わない学校でした。私の高校の出身者は大学在学中も卒業後もかなりユニークな人が多かったと思います。高校のそばを久しぶりに通ったので、かなり脱線してしまいました。何か昔が急に懐かしくなりました。

和光樹林公園は桜が咲き残っていて、八重桜の落花が綺麗でした。これで首都圏の桜の季節は終わりですね!ルイ君が走りました。めったに走らない子ですが楽しそうでした。

古今集から素性法師の歌

     花ちらす

   風のやどりは

     たれかしる

   我にをしへよ

   行きてうらみむ

(意)花を散らす風の泊る宿はどこだろう。誰か知っているのだろうか。私に教えてほしい。そこへ行って怨み言をいおう。

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2007年5月 1日 (火)

さいたま市総持院の牡丹2

4月27日の総持院の牡丹の続きです。

カメラはK10Dで、レンズはシグマ18-200mmとペンタックス28mmソフトです。

①18-200mmC-PL

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②18-200mmソフトンⅡ(B)<フィールター>

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③18-200mmクローズアップNo.3<フィールター>

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ペンタックス28mmソフト

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