2007年7月31日 (火)

7月のさいたま市内1

さいたま市内の7月です。

見沼区の氷川女体神社周辺。

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見沼区大谷。このあたりは大地主が残っています。これらの写真は大きな農家の前庭です。このあたりは山林地主が多かったので、第2次世界大戦の敗戦後のマッカーサー令による農地解放から山林が外された結果、山林を沢山持っていた大地主が残ったのでしょうか!農地解放では水田地主は完全に没落しましたが山林地主はほとんど残りました。農地解放は地域によっては農地以外の土地も接収した場合もあり、敗戦の混乱でかなり無理なマカーサー令の解釈があったようです。戦前は我が家は家族の食べるお米は埼玉県で一番美味しいと言われていた吉見町の田圃で採れるお米を食べていたそうです。戦後の農地解放でその土地は取られてしまったのですが、その後20年近く毎年今年の収穫は米何俵、柿何石と律儀に報告してくれる人がいました。

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2007年7月30日 (月)

花之江の郷3

7月22日の花之江の郷の3回目です。

蝉の抜け殻がヤブミョウガにくっ付いていました。

源氏物語の空蝉の帖から

     空蝉の

   羽におく露の

     木がくれて

   しのびしのびに

   ぬるる袖かな

(意)蝉の抜け殻のような薄衣だけを残して姿を隠してしまいましたが人目を忍んで袖を濡らしています。

これは空蝉が義理の娘「軒端荻(のきばのおぎ)」と部屋で寝ていると突然光源氏が部屋に入って来た(夜這い)ので、空蝉は薄衣を残して部屋を逃げ出した。光源氏は暗闇の中で軒端荻を空蝉と思って抱いてみたが・・・違うことに気付くがもう止まらない!そのまま抱いて契ってしまう。翌朝、光源氏は軒端荻のもとから帰る時に空蝉の脱ぎ捨てた薄衣(蝉の抜け殻)を持って帰り、光源氏は空蝉に文を出す(空蝉の身をかへてける木のもとになほひとがらのなつかしきかな)。それを読んで空蝉は文の端に書き付けた歌が上の歌です。光源氏は何か良く分らない男ですね。男の理想形とも言えますが!この時に前夜抱いた軒端荻には後朝の歌を贈っていないようです。そもそも昔は・・・男「今夜行くよ!」女「今夜誰も来ないから空いているから良いよ!」・・・の世界だと思っていましたが夜這いとはね!

E-510

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2007年7月29日 (日)

北鎌倉2 東慶寺

7月26日の北鎌倉東慶寺です。花が少なくて少しさびしいですが、緑が綺麗でした。東慶寺は駆け込み寺とも縁切り寺とも言われ、江戸時代は女性から離婚の申し立ての出来る二寺院のうちの一つでした。昔は尼寺でしたが現在は尼寺ではありません。

古代の鎌倉は良く分かっていません。創建を奈良時代とされる杉本寺・長谷寺や甘縄神明社は存在します。奈良時代は三浦半島から房総半島へ抜ける古代の東海道(陸上海上)の通り道だったようです。源頼朝が伊豆の旗揚げに失敗して房総半島に逃れ千葉氏や上総氏を頼った時に通った道でしょう。

鎌倉は鎌倉時代から室町時代にかけて騒乱の多い土地でした。鎌倉時代の大きな騒乱を上げると・・・・。

1203年 比企の乱で比企一族が北条氏に滅ぼされた。

1205年 畠山重忠・重保親子の謀殺。

1213年 和田合戦で和田一族が北条一族に滅ぼされた。

1247年 宝治合戦で三浦一族が北条一族に滅ぼされた。

1285年 霜月騒動で得宗家(北条氏嫡流)・北条時宗の御内人(直属家臣)平頼綱と御家人筆頭の安達氏の争いで安達氏は滅ぼされる。騒動後500名余りが平頼綱の粛清で殺された。この騒乱で平頼綱が幕府の実権を握る。

1293年 平禅門の乱で平頼綱一族が滅ぼされる。

とにかく、鎌倉の歴史は謀略と殺し合いの連続です。狭い土地での殺し合いですので負ければ皆殺しですね。大きな騒乱以外に小さなのは沢山あったでしょうから、油断できない毎日だったでしょうね。

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2007年7月28日 (土)

花之江の郷2

7月22日の花之江の郷の2回目です。

ペンタックスK10D

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オリンパスE-510

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2007年7月27日 (金)

北鎌倉1 円覚寺

7月26日に北鎌倉へ久しぶりに行ってきました。最初の予定では北鎌倉から亀ヶ谷坂切通しを抜けて海蔵寺へ回る予定でしたが、あまりの蒸し暑さで北鎌倉の円覚寺~東慶寺~浄智寺~明月院で帰ってきました。いや~、暑かったです!蒸し暑さの中で無理は禁物です。

北鎌倉は外国の人が圧倒的に多かったです。最近、都内でも外国人の観光客が増えていますね!日本政府の観光客勧誘策が効果を上げているのでしょうか!

北鎌倉は全体的に花の数が少ない季節ですが、緑が綺麗です。特に円覚寺は鎌倉五山の第2位ですので、境内の敷地が広く周りの山々の緑と境内の緑が綺麗でした。

今回、鎌倉の山を見ていてフト思ったのですが、源義経が一の谷戦いで鵯越の逆落としで平家を後方から攻撃したのは鎌倉武士達が鎌倉の厳しい地形を馬で走り回っていたので急斜面や谷に慣れていたためではないかと思いました。義経の鵯越の逆落としは実際は無かったとする学説がありますが・・・・!鎌倉は地形が非常に険しい場所で現在の切り通しも歩いて通るのにはかなり体力がいる道です。昔は道の整備を軍事上の戦術としてワザとしなかったようですので、7つの切通し(七つ口)はそれぞれ厳しい道だったと思われます。京都は昔から守るのが難しいと言われていましたが、鎌倉は軍事都市として守りを主眼にした街造りをしてきました。谷が深く平らな場所が少ない独特の地形です。京都のように広い境内を持つ寺院は鎌倉にはほとんど存在しません。狭い土地に御家人達がそれぞれ屋敷を持ち、沢山の寺院や神社がありました。

13世紀中頃には御家人の数は全国で約480名で関東は数が特に多く武蔵国は最多の約80名でした。お互いに狭い鎌倉の中で殺し合ったりして数は上下したようです。鎌倉幕府と御家人の関係は本領安堵と引換えに御恩と奉仕を義務付けられました。御恩とは幕府への忠誠で、奉仕は京都や鎌倉等への大番役です。京都大番役とは京都の守護で鎌倉大番役とは鎌倉の守護でした。有力御家人も弱小御家人も身分上は同格でした。御家人同士の支配関係や隷属関係は固く禁じられていました。また京都の朝廷と直接の主従関係も厳禁でした。

非御家人も鎌倉時代は多数存在していましたが、蒙古襲来のとき鎌倉幕府に非御家人への指揮権を認められました。しかし幕府の命令に従わない非御家人も多くいました。彼らは悪党と呼ばれましたが、現代の悪党とは意味が違い「強い」との意味で自主独立主義者とも言えると思います。鎌倉幕府を倒すために最初に立ち上がったのは西国の悪党達です。楠正成は悪党の代表選手でしょうね。

その後、室町幕府は御家人制度を執らなかったので御家人は将軍家の直参の家来をさしました。

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2007年7月26日 (木)

武蔵丘陵森林公園3

7月20日の武蔵丘陵森林公園の第3回目です。とにかくここは広すぎます。入り口も南口・中央口・西口・北口と4ヶ所あります。それぞれの入り口には公営の駐車場がありますが、公営の駐車場の前に民営の駐車場があり、民営の駐車場の方が駐車料金が圧倒的に安いです。園内にはサイクリング専用コースがあり1周は約17Kmです。それぞれの入り口のそばのサイクリングセンターでレンタサイクルを貸し出してくれます。また園内にはバスも走っていてフリーパスは400円です。ドックランも園内に併設されていて北口からが近いです。昔は何もなく広い広場が沢山あるだけでしたが最近は非常に整備され早春の花から晩秋の紅葉まで何か写真のネタがあるところです。私は個人的には早春の蝋梅と梅の季節が好きです。園内は山あり谷あり川あり滝あり沼ありです。また、古墳群も点在し山田城址も園内にあります。また鎌倉街道も保存されています。特に昭和天皇の墓所の候補になった頃から予算がつくようになり、一気に整備が進みました。

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2007年7月25日 (水)

星野の里

7月22日は最初に栃木県栃木市の「星野の里」へ行き、それから都賀町の「花之江の郷」から栃木市の下野国国衙跡と大神神社の古代から有名な歌枕「室(むろ)の八島」のあたりへ行ってきました。今日は星野の里です。ヤマユリは一輪だけ蕾を見かけました。今年はダメなようですね。霧雨が時々降ってくる天気でしたが、緑が美しい里です。節分草の自生地として、またカタクリの花でも有名です。今の季節は人も少なくゆったりと時間が流れるような里山です。星野の里の山の入り口にあるお休みどころの御蕎麦は美味しいですよ。そこまでの道が細くて車が1台しか通れないので御注意を!山の入り口でワンちゃんが門番をしていました。

私は写真を撮るとき綺麗な花を撮る時は精神的にハイになって撮ります。気分で花に近づくのですね。ただし実際に写真を撮る時は一歩下がって撮ります。近づき過ぎると何の花だか分らなくなりますし、脳圧が一気に上がってフラフラしてしまいます。ただしコンテストで賞を取るには近づいた方が確率が良いようです。今日のような綺麗な緑を撮る時は気分は少し引いて撮ります。つまり落ち着いて雰囲気を撮るのですね。訳がわからない話になりました!

K10Dでの画像です。

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E-510の画像です。

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最後から2枚目の大木は「かつら」の木です。かつらは紅葉が非常に綺麗な木です。紅葉の時は見事でしょうね!木の上の方がモヤがかかっていました。

2007年7月24日 (火)

花之江の郷1 2度咲きの大賀蓮

7月22日に栃木県都賀町の花之江の郷へ行って来ました。今年は大賀蓮が一度咲き終わりましたが、再び2回目の開花が始まりました。蓮の花が1年に2度咲くのは非常に珍しいことです。花の数は少なく花の形も少し小型ですが素晴らしい色でした。今回は久しぶりにペンタックスのK10DをオリンパスのE-510と一緒に持ち出しました。花之江の郷の大賀蓮と水辺の風景です。

良寛と貞心尼の相聞歌から

     来てみれば

   人こそ見えぬ

     庵守(いほも)りて

   にほふ蓮(はちす)の

   花のたふとさ  (貞心尼)

返し

     みあへする

   物こそなけれ

     小瓶(をがめ)なる

   蓮(はちす)の花を

   見つつしのはせ  (良寛)

(意)来てみるとお姿は見えず庵の留守をして咲き匂う蓮の花の尊いこと。(貞心尼)

   特におもてなしをするものはありませんが、せめて小瓶の蓮の花でも見て我慢をしてください。(良寛)

良寛と貞心尼は40歳の年の差があり、二人が知り合ったのは良寛が70歳貞心尼30歳の時でした。恋人として和歌の師弟としてまた仏法の師弟として良寛が死ぬまでの約3年半のあいだ関係が続きました。私はこの二人の間には不純なものを感じられません。なにかほのぼのとした大人の愛の美しさを感じるのです。

良寛の故郷柏崎市出雲崎は今度の中越沖地震で大被害を受けました。一刻も早い復興がなされますように!

ペンタックスK10D+シグマ18-200mm

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オリンパスE-510+50-200mm

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2007年7月23日 (月)

武蔵丘陵森林公園2

7月20日の埼玉県滑川町の国営武蔵丘陵森林公園の2回目です。前回はヤマユリでしたが、今回はそれ以外の野草をアップします。とにかく広い公園です。20日も公園の1/3ほどしか回れませんでした。公園内は山あり谷あり川ありで起伏にとんだ武蔵野の面影をよく残しています。このあたりは源平時代から鎌倉時代までの地付きの豪族・武蔵七党たちの故郷とも言える地域です。京都から武蔵野国の高級役人として下って来た大豪族の源氏・平氏(家)・藤原氏と混在していました。関東では圧倒的に坂東八平氏と言われるように平氏が圧倒的に多く、特に武蔵野国では秩父氏(平氏)の畠山氏が大勢力でした。鎌倉幕府を開いた源頼朝は平氏の関東の大豪族達を味方につけたことによって全国を平定できました。

三枚目の写真は(古)鎌倉街道です。鎌倉街道は鎌倉時代に整備された軍用道路で比企丘陵地域は割合に良く残っています。鎌倉街道は鎌倉を中心に3本(上道<かみつみち>・中道<なかつみち>・下道<しもつみち>)の幹線道路があり、それぞれに枝道・脇道が多数あり今では良く分らない道も多いのです。鎌倉街道は規格道路で道路幅約6メートル、左右それぞれに高さ2メートルで上辺2メートルの土塁が付いていました。実際はそれよりも小さかったと思われます。土塁は軍兵の動きを隠すためとも、横合いから襲われないためとも言われています。作ったのはそれぞれの土地の御家人たちだと言われていますがよく分りません。いまはこの道路は風化しています。昔の大和朝廷の作った古道<東山道武蔵路>とも関係していているようです。大和時代の古道は鎌倉街道の2倍の道路幅があった事が発掘調査で判明しました。鎌倉街道は江戸初期の五街道の整備までは関東から長野・新潟あるいは茨城までの最重要街道でしたが、江戸時代以降は五街道に道を譲りました。しかし幕末までは一般に使われていたと思われます。この公園の中の鎌倉街道は上道の枝道です。上道は新田義貞の鎌倉攻めのルートです。我が家のご先祖様も新田義貞の四天王の一人として居城の上里町の金窪城を出て鎌倉街道を南下して鎌倉へ攻め込んだのでしょう。鎌倉時代から戦国時代までの関東の合戦はほとんどがこの鎌倉街道沿いで起きました。

上道の所沢から分岐して富士見・浦和・大宮・上尾・白岡・加須から中道(奥州街道)へつながる羽根倉道は現在も浦和の荒川に架かる橋「羽根倉橋」として名前が残っています。

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今年は紅葉が早いかもしれません。病気かとも思いましたが、それにしては黄変等をしている木々が多かったです。

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2007年7月22日 (日)

川口グリーンセンター3

7月13日の川口グリーンセンターのパート3です。今回は観賞用温室と大温室の画像です。

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