2007年7月31日 (火)

7月のさいたま市内1

さいたま市内の7月です。

見沼区の氷川女体神社周辺。

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見沼区大谷。このあたりは大地主が残っています。これらの写真は大きな農家の前庭です。このあたりは山林地主が多かったので、第2次世界大戦の敗戦後のマッカーサー令による農地解放から山林が外された結果、山林を沢山持っていた大地主が残ったのでしょうか!農地解放では水田地主は完全に没落しましたが山林地主はほとんど残りました。農地解放は地域によっては農地以外の土地も接収した場合もあり、敗戦の混乱でかなり無理なマカーサー令の解釈があったようです。戦前は我が家は家族の食べるお米は埼玉県で一番美味しいと言われていた吉見町の田圃で採れるお米を食べていたそうです。戦後の農地解放でその土地は取られてしまったのですが、その後20年近く毎年今年の収穫は米何俵、柿何石と律儀に報告してくれる人がいました。

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2007年7月30日 (月)

花之江の郷3

7月22日の花之江の郷の3回目です。

蝉の抜け殻がヤブミョウガにくっ付いていました。

源氏物語の空蝉の帖から

     空蝉の

   羽におく露の

     木がくれて

   しのびしのびに

   ぬるる袖かな

(意)蝉の抜け殻のような薄衣だけを残して姿を隠してしまいましたが人目を忍んで袖を濡らしています。

これは空蝉が義理の娘「軒端荻(のきばのおぎ)」と部屋で寝ていると突然光源氏が部屋に入って来た(夜這い)ので、空蝉は薄衣を残して部屋を逃げ出した。光源氏は暗闇の中で軒端荻を空蝉と思って抱いてみたが・・・違うことに気付くがもう止まらない!そのまま抱いて契ってしまう。翌朝、光源氏は軒端荻のもとから帰る時に空蝉の脱ぎ捨てた薄衣(蝉の抜け殻)を持って帰り、光源氏は空蝉に文を出す(空蝉の身をかへてける木のもとになほひとがらのなつかしきかな)。それを読んで空蝉は文の端に書き付けた歌が上の歌です。光源氏は何か良く分らない男ですね。男の理想形とも言えますが!この時に前夜抱いた軒端荻には後朝の歌を贈っていないようです。そもそも昔は・・・男「今夜行くよ!」女「今夜誰も来ないから空いているから良いよ!」・・・の世界だと思っていましたが夜這いとはね!

E-510

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2007年7月29日 (日)

北鎌倉2 東慶寺

7月26日の北鎌倉東慶寺です。花が少なくて少しさびしいですが、緑が綺麗でした。東慶寺は駆け込み寺とも縁切り寺とも言われ、江戸時代は女性から離婚の申し立ての出来る二寺院のうちの一つでした。昔は尼寺でしたが現在は尼寺ではありません。

古代の鎌倉は良く分かっていません。創建を奈良時代とされる杉本寺・長谷寺や甘縄神明社は存在します。奈良時代は三浦半島から房総半島へ抜ける古代の東海道(陸上海上)の通り道だったようです。源頼朝が伊豆の旗揚げに失敗して房総半島に逃れ千葉氏や上総氏を頼った時に通った道でしょう。

鎌倉は鎌倉時代から室町時代にかけて騒乱の多い土地でした。鎌倉時代の大きな騒乱を上げると・・・・。

1203年 比企の乱で比企一族が北条氏に滅ぼされた。

1205年 畠山重忠・重保親子の謀殺。

1213年 和田合戦で和田一族が北条一族に滅ぼされた。

1247年 宝治合戦で三浦一族が北条一族に滅ぼされた。

1285年 霜月騒動で得宗家(北条氏嫡流)・北条時宗の御内人(直属家臣)平頼綱と御家人筆頭の安達氏の争いで安達氏は滅ぼされる。騒動後500名余りが平頼綱の粛清で殺された。この騒乱で平頼綱が幕府の実権を握る。

1293年 平禅門の乱で平頼綱一族が滅ぼされる。

とにかく、鎌倉の歴史は謀略と殺し合いの連続です。狭い土地での殺し合いですので負ければ皆殺しですね。大きな騒乱以外に小さなのは沢山あったでしょうから、油断できない毎日だったでしょうね。

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2007年7月28日 (土)

花之江の郷2

7月22日の花之江の郷の2回目です。

ペンタックスK10D

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オリンパスE-510

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2007年7月27日 (金)

北鎌倉1 円覚寺

7月26日に北鎌倉へ久しぶりに行ってきました。最初の予定では北鎌倉から亀ヶ谷坂切通しを抜けて海蔵寺へ回る予定でしたが、あまりの蒸し暑さで北鎌倉の円覚寺~東慶寺~浄智寺~明月院で帰ってきました。いや~、暑かったです!蒸し暑さの中で無理は禁物です。

北鎌倉は外国の人が圧倒的に多かったです。最近、都内でも外国人の観光客が増えていますね!日本政府の観光客勧誘策が効果を上げているのでしょうか!

北鎌倉は全体的に花の数が少ない季節ですが、緑が綺麗です。特に円覚寺は鎌倉五山の第2位ですので、境内の敷地が広く周りの山々の緑と境内の緑が綺麗でした。

今回、鎌倉の山を見ていてフト思ったのですが、源義経が一の谷戦いで鵯越の逆落としで平家を後方から攻撃したのは鎌倉武士達が鎌倉の厳しい地形を馬で走り回っていたので急斜面や谷に慣れていたためではないかと思いました。義経の鵯越の逆落としは実際は無かったとする学説がありますが・・・・!鎌倉は地形が非常に険しい場所で現在の切り通しも歩いて通るのにはかなり体力がいる道です。昔は道の整備を軍事上の戦術としてワザとしなかったようですので、7つの切通し(七つ口)はそれぞれ厳しい道だったと思われます。京都は昔から守るのが難しいと言われていましたが、鎌倉は軍事都市として守りを主眼にした街造りをしてきました。谷が深く平らな場所が少ない独特の地形です。京都のように広い境内を持つ寺院は鎌倉にはほとんど存在しません。狭い土地に御家人達がそれぞれ屋敷を持ち、沢山の寺院や神社がありました。

13世紀中頃には御家人の数は全国で約480名で関東は数が特に多く武蔵国は最多の約80名でした。お互いに狭い鎌倉の中で殺し合ったりして数は上下したようです。鎌倉幕府と御家人の関係は本領安堵と引換えに御恩と奉仕を義務付けられました。御恩とは幕府への忠誠で、奉仕は京都や鎌倉等への大番役です。京都大番役とは京都の守護で鎌倉大番役とは鎌倉の守護でした。有力御家人も弱小御家人も身分上は同格でした。御家人同士の支配関係や隷属関係は固く禁じられていました。また京都の朝廷と直接の主従関係も厳禁でした。

非御家人も鎌倉時代は多数存在していましたが、蒙古襲来のとき鎌倉幕府に非御家人への指揮権を認められました。しかし幕府の命令に従わない非御家人も多くいました。彼らは悪党と呼ばれましたが、現代の悪党とは意味が違い「強い」との意味で自主独立主義者とも言えると思います。鎌倉幕府を倒すために最初に立ち上がったのは西国の悪党達です。楠正成は悪党の代表選手でしょうね。

その後、室町幕府は御家人制度を執らなかったので御家人は将軍家の直参の家来をさしました。

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2007年7月26日 (木)

武蔵丘陵森林公園3

7月20日の武蔵丘陵森林公園の第3回目です。とにかくここは広すぎます。入り口も南口・中央口・西口・北口と4ヶ所あります。それぞれの入り口には公営の駐車場がありますが、公営の駐車場の前に民営の駐車場があり、民営の駐車場の方が駐車料金が圧倒的に安いです。園内にはサイクリング専用コースがあり1周は約17Kmです。それぞれの入り口のそばのサイクリングセンターでレンタサイクルを貸し出してくれます。また園内にはバスも走っていてフリーパスは400円です。ドックランも園内に併設されていて北口からが近いです。昔は何もなく広い広場が沢山あるだけでしたが最近は非常に整備され早春の花から晩秋の紅葉まで何か写真のネタがあるところです。私は個人的には早春の蝋梅と梅の季節が好きです。園内は山あり谷あり川あり滝あり沼ありです。また、古墳群も点在し山田城址も園内にあります。また鎌倉街道も保存されています。特に昭和天皇の墓所の候補になった頃から予算がつくようになり、一気に整備が進みました。

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2007年7月25日 (水)

星野の里

7月22日は最初に栃木県栃木市の「星野の里」へ行き、それから都賀町の「花之江の郷」から栃木市の下野国国衙跡と大神神社の古代から有名な歌枕「室(むろ)の八島」のあたりへ行ってきました。今日は星野の里です。ヤマユリは一輪だけ蕾を見かけました。今年はダメなようですね。霧雨が時々降ってくる天気でしたが、緑が美しい里です。節分草の自生地として、またカタクリの花でも有名です。今の季節は人も少なくゆったりと時間が流れるような里山です。星野の里の山の入り口にあるお休みどころの御蕎麦は美味しいですよ。そこまでの道が細くて車が1台しか通れないので御注意を!山の入り口でワンちゃんが門番をしていました。

私は写真を撮るとき綺麗な花を撮る時は精神的にハイになって撮ります。気分で花に近づくのですね。ただし実際に写真を撮る時は一歩下がって撮ります。近づき過ぎると何の花だか分らなくなりますし、脳圧が一気に上がってフラフラしてしまいます。ただしコンテストで賞を取るには近づいた方が確率が良いようです。今日のような綺麗な緑を撮る時は気分は少し引いて撮ります。つまり落ち着いて雰囲気を撮るのですね。訳がわからない話になりました!

K10Dでの画像です。

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E-510の画像です。

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最後から2枚目の大木は「かつら」の木です。かつらは紅葉が非常に綺麗な木です。紅葉の時は見事でしょうね!木の上の方がモヤがかかっていました。

2007年7月24日 (火)

花之江の郷1 2度咲きの大賀蓮

7月22日に栃木県都賀町の花之江の郷へ行って来ました。今年は大賀蓮が一度咲き終わりましたが、再び2回目の開花が始まりました。蓮の花が1年に2度咲くのは非常に珍しいことです。花の数は少なく花の形も少し小型ですが素晴らしい色でした。今回は久しぶりにペンタックスのK10DをオリンパスのE-510と一緒に持ち出しました。花之江の郷の大賀蓮と水辺の風景です。

良寛と貞心尼の相聞歌から

     来てみれば

   人こそ見えぬ

     庵守(いほも)りて

   にほふ蓮(はちす)の

   花のたふとさ  (貞心尼)

返し

     みあへする

   物こそなけれ

     小瓶(をがめ)なる

   蓮(はちす)の花を

   見つつしのはせ  (良寛)

(意)来てみるとお姿は見えず庵の留守をして咲き匂う蓮の花の尊いこと。(貞心尼)

   特におもてなしをするものはありませんが、せめて小瓶の蓮の花でも見て我慢をしてください。(良寛)

良寛と貞心尼は40歳の年の差があり、二人が知り合ったのは良寛が70歳貞心尼30歳の時でした。恋人として和歌の師弟としてまた仏法の師弟として良寛が死ぬまでの約3年半のあいだ関係が続きました。私はこの二人の間には不純なものを感じられません。なにかほのぼのとした大人の愛の美しさを感じるのです。

良寛の故郷柏崎市出雲崎は今度の中越沖地震で大被害を受けました。一刻も早い復興がなされますように!

ペンタックスK10D+シグマ18-200mm

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オリンパスE-510+50-200mm

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2007年7月23日 (月)

武蔵丘陵森林公園2

7月20日の埼玉県滑川町の国営武蔵丘陵森林公園の2回目です。前回はヤマユリでしたが、今回はそれ以外の野草をアップします。とにかく広い公園です。20日も公園の1/3ほどしか回れませんでした。公園内は山あり谷あり川ありで起伏にとんだ武蔵野の面影をよく残しています。このあたりは源平時代から鎌倉時代までの地付きの豪族・武蔵七党たちの故郷とも言える地域です。京都から武蔵野国の高級役人として下って来た大豪族の源氏・平氏(家)・藤原氏と混在していました。関東では圧倒的に坂東八平氏と言われるように平氏が圧倒的に多く、特に武蔵野国では秩父氏(平氏)の畠山氏が大勢力でした。鎌倉幕府を開いた源頼朝は平氏の関東の大豪族達を味方につけたことによって全国を平定できました。

三枚目の写真は(古)鎌倉街道です。鎌倉街道は鎌倉時代に整備された軍用道路で比企丘陵地域は割合に良く残っています。鎌倉街道は鎌倉を中心に3本(上道<かみつみち>・中道<なかつみち>・下道<しもつみち>)の幹線道路があり、それぞれに枝道・脇道が多数あり今では良く分らない道も多いのです。鎌倉街道は規格道路で道路幅約6メートル、左右それぞれに高さ2メートルで上辺2メートルの土塁が付いていました。実際はそれよりも小さかったと思われます。土塁は軍兵の動きを隠すためとも、横合いから襲われないためとも言われています。作ったのはそれぞれの土地の御家人たちだと言われていますがよく分りません。いまはこの道路は風化しています。昔の大和朝廷の作った古道<東山道武蔵路>とも関係していているようです。大和時代の古道は鎌倉街道の2倍の道路幅があった事が発掘調査で判明しました。鎌倉街道は江戸初期の五街道の整備までは関東から長野・新潟あるいは茨城までの最重要街道でしたが、江戸時代以降は五街道に道を譲りました。しかし幕末までは一般に使われていたと思われます。この公園の中の鎌倉街道は上道の枝道です。上道は新田義貞の鎌倉攻めのルートです。我が家のご先祖様も新田義貞の四天王の一人として居城の上里町の金窪城を出て鎌倉街道を南下して鎌倉へ攻め込んだのでしょう。鎌倉時代から戦国時代までの関東の合戦はほとんどがこの鎌倉街道沿いで起きました。

上道の所沢から分岐して富士見・浦和・大宮・上尾・白岡・加須から中道(奥州街道)へつながる羽根倉道は現在も浦和の荒川に架かる橋「羽根倉橋」として名前が残っています。

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今年は紅葉が早いかもしれません。病気かとも思いましたが、それにしては黄変等をしている木々が多かったです。

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2007年7月22日 (日)

川口グリーンセンター3

7月13日の川口グリーンセンターのパート3です。今回は観賞用温室と大温室の画像です。

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2007年7月21日 (土)

ヤマユリ 武蔵丘陵森林公園1

7月20日に埼玉県滑川町の国営武蔵丘陵森林公園へヤマユリの写真を撮りに行って来ました。この公園内には約3千株のヤマユリがあるそうです。今年のヤマユリは少々出来が悪いようですが綺麗に咲き始めていました。全体的に見頃は来週の前半でしょうか!公園内には5か所ほどのヤマユリの群生場所があります。現在は梅林の中のユリが奇麗でした。公園内の古鎌倉街道沿い等にもヤマユリは点在していますがまだ蕾が多く来週には咲きだすと思います。全体的に咲き始めから見頃始めのちょっと手前あたりでしょうか!ヤマユリは発芽から開花まで5年もかかり、1年ごとに1輪づつ花が増えると言われています。香はユリの女王と言われるだけ、香り高いです。

ユリは江戸時代末期にシーボルトによってギボウシや紫陽花などと日本原種の植物としてヨーロッパに持ち出され、ヨーロッパで園芸家の間で日本ブームを巻き起こしました。その後、明治6年のウィーン万国博覧会で日本のヤマユリが紹介され再び日本のユリがオリエンタルリリーとして脚光を浴びました。園芸種類として品種改良を重ねて現代のユリが出来てきました。ヤマユリは現在のオリエンタルリリーの原種の一つです。

万葉集から大舎人部千文(オオトネリベノチフミ)の歌。

     筑波嶺の

   早百合(さゆる)の花の

     夜床(ゆとこ)にも

   愛(かな)しけ妹そ

   昼も愛しけ

(意)筑波山に咲くヤマユリのように、夜の床で愛しい妻は昼間も愛しい。

もう勝手にやって頂戴って感じの歌ですね!

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P.S. 昨日、参議院選挙の期日前投票へ行って来ました。どこの政党と誰に投票したかは秘密です。当然、「嘘をつく政党」や「強きを助け弱きを挫く政党」それと「アメリカの尖兵として世界中の動乱地域へ自衛隊を派遣しようとする政党」には入れませんでした。ほとんど毎回不在者投票(期日前投票)をしています。最近は大変投票しやすくなってきています。投票日に投票に行けない可能性がある方は、是非とも期日前投票を行って国民としての権利と義務を果たして下さい。あなたの1票が日本を変えるかも知れません。

2007年7月20日 (金)

コテージガーデン・ステファニー2

7月16日の那須烏山市のコテージガーデン・ステファニーの続きです。今年は桔梗の花が少ないように見受けられました。

古今集から紀友則の桔梗を詠った歌。

物名 きちかう(桔梗)

     秋近(ちか)う

   野はなりにけり

     白露の

   置ける草葉も

   色変はりゆく

(意)涼しさの増してきた晩夏の野では、毎朝白露に濡れる草の葉も徐々に色が衰えてゆく

長く咲き続けてくれていた桔梗(きちかう)の花が時とともに萎れていく哀しさを詠った歌です。多分自分かあるいは自分と関係のあった人々の人生を詠っているのだと思います。

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コテージガーデン・ステファニーのご近所です。合歓の木の場所は休耕田で、ここは源氏蛍が沢山舞う場所です。この周辺には山百合の群生地があったのですが、今年は壊滅状態です。台風の影響で川の水が増水しています。

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2007年7月19日 (木)

川口グリーンセンター2

7月13日の川口グリーンセンターの続きです。

古今集から紀貫之の歌。

     道しらば

   摘みにもゆかむ

     住の江の

   岸におふてふ

   恋忘れ草

(意)道さえわかれば花を摘みに行きましょう。住之江の岸に生えていると言われている恋を忘れる花を。

忘れ草はカンゾウの事です。野カンゾウは一重で藪カンゾウは八重です。

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エゴノキの実です。初めの写真はアブラムシが巣を作って中に入っているそうです。後のは健康的なエコノキの実です。

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季節はずれの藤の花が咲いていました。

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2007年7月18日 (水)

コテージガーデン・ステファニー1

7月16日台風が過ぎた後で栃木県那須烏山市のコテージガーデン・ステファニーへ行って来ました。5~6月の艶やかさはありませんが、シットリとして美しい花々が咲いていました。タチアオイ・ダリア・桔梗・女郎花(オミナエシ)など色々な花が綺麗に咲いていました。今年は少し花が早いですね!黄色いオミナエシは秋の七草です。

☆万葉集で山上憶良は秋野の花を詠む歌二首として

「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」

「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴(ふじばかま)朝顔の花」

と歌っています。朝顔はキキョウの事だと言われています。

☆古今集から遍昭の女郎花(オミナエシ)を詠った有名な歌。

     名にめでて

   折れるばかりぞ

     女郎花(おみなへし)

   われおちにきと

   人にかたるな

(意)その名に興じて折り取ったばかりだ、オミナエシよ。私が墮落したと人に語るなよ。

女郎花は万葉時代から容姿の美しい女性に例えられた花です。オミナヘシあるいはオミナは女(おんな)の古語でしょうか?女郎(じょろう)は万葉・平安時代は高貴な貴族階級の女性に対しての敬語でした。オミナエシに女郎花の漢字を与えたのは平安時代からです。

遍昭の歌は、女郎花は美女の代名詞なので、それを愛でて手折り取ったばかりだが、僧としての私にはこれも女戒の罪だろうか。あいつは堕落したと人に話さないでくれ、と花に話しかける。花を折ることは女性との交情の例えとされているので、僧としての私は女戒を犯してしまったとおどけたのでしょう。お洒落な歌ですね!

昨夜、突然上手く文章の書き込みができなくなりました。文章を入力するととんでもない場所に飛んでしまいます。原因は分かりません。自然と直ると良いのですが!

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2007年7月17日 (火)

秋ヶ瀬公園

昨日の地震で新潟・長野両県でかなりの被害が出ました。被災されて方々にお見舞いを申し上げます。私の別荘のある長野県信濃町も震度5強だったようです。隣町が震度6強だったそうです。場所が野尻湖を見下ろす山の上の方にあるので少々心配です。3年前の中越地震の時は丁度別荘に滞在中でしたが私は買い出し中の車の中でしたので気が付きませんでした。別荘に帰ると女房がワンちゃんを抱いて外に逃げ出していました。大揺れに揺れて船酔いを起こしそうだったそうです。今回も東関東自動車道路を走っている時で、突然、50Kmの交通規制が出てビックリしてラジオを付けて地震を知りました。

7月8日にワンちゃん達が運動不足気味なのでさいたま市の秋ヶ瀬公園に連れて行きました。2頭とも自然が大好きです。元気に散歩をしていました。特に後輩犬マリアンちゃんは興奮気味で先輩犬のルイ君はおっとりノンビリでした。秋ヶ瀬公園は自然が沢山残っています。ここは荒川の内堤防を荒川の水がオバーフローするとこの公園へ水を導き市内への浸水を防ぐのが目的です。幸いにしてここを破られたことはありませんが、二十数年前に一度外堤防決壊の寸前まで水が来たことがあり、秋ヶ瀬公園の木々も完全に水没し川面に何も見えなかったことがあります。それ以降スーパー堤防(大規模の大堤防で堤防の上に住宅街や商業ゾーン、高速道路、鉄道等を造る)の計画が浮かんでは消え、消えては浮かんできます。関係する旧建設省の河川局、道路局、住宅局、鉄道局の仲がそれぞれ悪くて縄張り争いのため実現は非常に難しいのです。いまはもう少し下流の新河岸川との合流地点の彩湖公園あたりなどと秋ヶ瀬公園に遊水機能を持たせ連動して東京都の隅田川流域を洪水から守っています。これらの機能がないと東京都は毎年のように水浸しになってしまいます。今の時代は各自治体が国と協力し合って地域住民を守っているのです。地味な事ですが非常に大事な事なのです。

☆古今集から武蔵野を詠った読み人知らずの歌。

     紫の

   ひともとゆゑに

     武蔵野の

   草はみながら

   あはれとぞ見る

(意)ただ一本の紫草があればこそ、広い武蔵野に生えているすべての草が懐かしいものに見える。

☆古今集から在原業平の隅田川原で詠った名歌。伊勢物語から

     名にしおはば

   いざ言問(ことと)はむ

     都鳥

   わが思ふ人は

   ありやなしやと

(意)都鳥よ、みやこという名前を付けられたのなら、一つ尋ねよう。都の私の恋人は今も丈夫で私の帰りを待っていてくれているのだろうか。

業平橋や言問通りの原典の歌。業平が二条天皇の后との悲恋のあげく東国へ放浪の旅に出たと言われている。この歌の恋人とは二条后の事であろうか。

    

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2007年7月15日 (日)

川口グリーンセンター1

関東地方への台風の最接近は今日の午後遅くでしょうかね。今は時々激しい雨が降ってきていますが風は大したことがありません。これからでしょうね!皆さんも台風の動きに気をつけて下さい。台風の通過した地方でも被害が出ているようです。被害を受けた方々へお見舞い申し上げます。

7月13日に川口市の川口グリーンセンターへ久しぶりに行って来ました。最初は栃木県の都賀町の「都賀の里」と「花之江の郷」へ台風の前に行く予定でしたが、お盆でお墓に迎えに行く時間が大幅に遅れ、またお墓が雑草だらけだったので清掃に追われ時間がかかったために急遽予定を変更して川口グリーンセンターへ行って来ました。天気予報どおり超大型台風が近づいてきていても雨が降らなくて幸いでした。

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川口グリーンセンターのバラ園に夏バラが綺麗に咲いていました。夏のバラですので花弁が傷みやすくアップで撮れるバラが少なかったですがバラの香りが素晴らしかったです。夏の季節にこれだけのバラに出会えるとは想像もしていませんでした。

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2007年7月14日 (土)

アジサイ寺 能護寺

超大型台風接近中ですね。奄美の方々は大変だったでしょうね。お見舞い申し上げます。今回の台風は普通の台風とはスケールが違うようですので進路から離れていても被害が出るかも知れません。みなさん十分に注意をしてください。

6月24日ジョイフル本田新田店の後で埼玉県熊谷市の能護寺へ行って来ました。旧町名では妻沼町です。実家が熊谷の女房は能護寺を知りませんでした。このお寺はアジサイ寺として有名だったそうです。アジサイは見事でした。

10世紀後半に編集された和歌の手引書?の歌を集めた古今和歌六帖から読み人知らずの歌。

         茜さす

     昼はこちたし

        あぢさゐの

     花のよひらに

     逢ひ見てしがな

(意)昼間に逢うと人目がうるさく噂にも立ちやすいので宵に密やかに逢いたいものだ。

「よひら」は紫陽花の花の事で宵(よひ)にも通じる。「よひら」はガクアジサイの顎が4枚なので「よひら」と呼びました。昔の人はこの様な歌で意味が通じ合ったのでしょうね。頭が良くないと馬鹿にされたでしょうね!私なんか「貴方なんか頭の悪い鈍感男、魅力も何もない人」と間違いなく言われてしまうでしょうね!やはり直球勝負はこの時代では馬鹿と思われていたのかも知れません。

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2007年7月13日 (金)

羽生水郷公園

古河市から埼玉県羽生市の羽生水郷公園への途中、埼玉大橋の橋の上から利根川を撮りました。この橋からの景色は川と言うより海の松島のように小さな島が川の中に浮かんでいます。橋のたもとの道の駅に車を停めて歩いて橋の真ん中まで行きました。大型トラックの交通量が多いところで橋が大きく上下に揺れるので写真を撮るのが大変でした。道の駅のホテイアオイはまだ咲いていません。まだまだ先のようです。また、大利根町の東隣町の栗橋町の利根川で大型淡水魚のハクレンの大ジャンプを見ることができます。もうそろそろジャンプが始まる頃です。ジャンプする場所は利根川橋と新幹線の間です。ハクレンは戦争中に中国から食料にするために輸入されたのですが日本人の口には合わなかったようです。大ジャンプの原因は未だに解明されていませんが、産卵に関係していることは確かなようです。大ジャンプの時に受精をするのでしょう。ハクレンは霞ヶ浦から利根川を遡上して栗橋町あたりで産卵します。受精卵は産卵されてから2日目で霞ヶ浦の北浦周辺に流れ込みます。霞ヶ浦の北浦周辺が孵化の場所です。大ジャンプが始まると必ずNHKのニュースに流れます。興味のある方は望遠レンズを持ってお出かけください。凄い迫力だそうです!

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羽生水郷公園です。この公園内には「さいたま水族館」があります。川や池・沼に住む淡水魚の水族館で埼玉県にしか生息しない「ムサシトミヨ」など珍しい淡水魚の水族館です。また園内の宝蔵寺沼には日本で唯一で世界的にも数箇所しかない「ムジナモ」の自生地です。ムジナモとはモウセンゴケ科の食虫植物で根がなく水面に浮かんで葉の先に小さな虫などが止まると葉が閉じて捕食します。そのスピードは1/100秒とも言われています。そして羽生市でのムジナモの発見者は、田山花袋の小説『田舎教師』の中で、主人公の弥勒高等小学校の同僚「関さん」で登場する速水義憲(旧姓関根)氏でした。私はこの小説は読んだ事がありません。速水氏は北埼玉地方では有名な教育者だったそうです。

宝蔵寺沼の一部にはホテイアオイが咲き始めていました。ここは早いですね!ムジナモは保護が厚いのでそばには寄れませんので写真は撮れません。

写真はホテイアオイ、ガマ、アサザ、ホザキシモツケ、ミズカンナ、落羽松(ラクウショウ)別名ヌマスギで気根とも言います、半夏生、ねむの木とノウゼンカズラです。2羽の鳥は何なのでしょう?ずーっと仲良くしていました。種類が違う鷺だと思いますが!

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2007年7月12日 (木)

古河総合公園のアジサイなど

7月7日の古河総合公園の写真です。ここはアジサイも綺麗に咲いています。少々傷み始めたアジサイもありましたが、まだまだ綺麗でした。ここは桃の名所です。春の桃の季節は一面がピンクに染まります。いまは桃の実が小さいですが豊かに実っています。食用の桃には見えません。この桃の実はどうなるのでしょう。

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カワセミがいました。あまりそばに寄れません。飛ぶと動きが早くてピントが合いません。

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2007年7月11日 (水)

行田市古代蓮の里2

昨日はココログの突然の緊急メンテナンスになりました。皆様にご迷惑をおかけしたと思います。ココログに代わりましてお詫び申し上げます!

7月5日の埼玉県行田市の「古代蓮の里」の続きです。前回は古代蓮の一種である行田蓮でしたが今回は「古代蓮の里」に咲く世界の蓮と園内に咲く花々です。蓮の花が散ると少々汚くなります。蓮の葉の上に尻尾の付いたオタマジャクシの蛙になりかけのが上がってきます。

蓮の花を指差している美女は彼氏に「ネェネェ見て見て、ほら、あのハス綺麗!」と言っていました。本当に貴女の方がズ~っと綺麗ですよ!

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2007年7月10日 (火)

花之江の郷2

6月27日の花之江の郷の続きです。花菖蒲が綺麗に咲いていてエゾミソハギ等も綺麗でした。

平安末期の歌人達から格調があり品格のある歌詠みと言われた源経信(つねのぶ)の歌を金葉集から。

     よろづ代に

   かはらぬものは

     五月雨の

   しづくにかをる

   菖蒲なりけり

(意)万代にわたって不変なものは、五月雨の雫に濡れて香る、軒の菖蒲草なのだなあ。

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2007年7月 9日 (月)

古河総合公園の蓮

7月7日に茨城県古河市の古河総合公園の蓮を撮りに行って来ました。ここの蓮は千葉市で発見された約2000年前の古代蓮の大賀蓮で千葉より分けてもらったそうです。古代蓮と言っても行田の行田蓮とは少し違うようです。大賀蓮は少し白っぽく花弁の先のピンクがやや色濃くなります。行田の蓮はピンクの色が濃く艶やかで、やや大型です。使用カメラとレンズはE-510とED14-42mm、ED40-150mm、ED50-200mmです。

古河総合公園は室町時代に古河公方の足利成氏が居住した鴻巣御所跡です。鎌倉公方として足利尊氏の三男足利基氏を関東の支配者として派遣したのですが、4代目の足利持氏が征夷大将軍になる夢を持ち関東地方は大混乱となりました。関東管領家の上杉氏の内訌もありました。結果、持氏の反乱は失敗し幕府に降服したのですが自害させられ、5代目に持氏の子供の成氏が鎌倉公方に任じられたのですが再び反乱をおこし破れて、鎌倉を脱出し古河に本拠を移し古河公方とよばれました。古河は水上交通の要衝で守りやすく攻めやすい地形で、北関東・東関東の豪族は下野国(宇都宮氏・小山氏・那須氏等)と下総国(結城氏・千葉氏等)の大豪族に古河公方の支持者が多く、関東の約半分近くを押さえていました。足利成氏は渡良瀬の下河辺氏の館を改修し古河城を築き古河公方の城としました。その後、室町幕府と和睦と戦を繰り返し100年以上も関東地方に平和な時代は長く続きませんでした。空席になった鎌倉公方として足利政知が京都から下って来ましたが、複雑な政情のため鎌倉に入ることができず伊豆国堀越(韮山町)に館を作り居住しました。これが堀越公方と呼ばれ、関東に2人の公方が同時に存在することになりました。堀越公方は足利茶々丸の時に北条早雲に攻め滅ぼされてしまいました。この辺の関東の大動乱の歴史については複雑怪奇で訳が分かりません。歴史に詳しいつもりの私も難しくって頭をひねります!この地は古河公方が古河城を築城して移るまで数年間の古河公方の本拠地でした。古河城に移転後も鴻巣御所は存続していたようです。

古河公方の直系の娘で古河城主であった足利氏姫が豊臣秀吉の命により足利の一族の足利国朝(小弓公方・・・古河公方の分家)の正室となり、室町幕府を開いた足利本家を継ぎ喜連川藩を立藩しました。それにつれて古河公方の家臣団も喜連川(栃木県)に移りました。石高は5千石程度でしたが、藩として扱われ、江戸幕府の中で唯一の1万石以下での大名となり明治に至り子爵として続きました。家格は10万石並で御三家と同席を許され、大名としては最高の御所号を許された別格大名でした。

考えれば考えるほど複雑な時代で、2つに分裂した管領家の扇谷上杉家を一人で盛りたてていた宿老だった和歌でも有名な太田道灌も主君に謀殺されるほどおかしく不思議な時代でした。公方を補佐する関東管領上杉家も山内・扇谷上杉に分裂し、その家臣団もそれぞれ分裂して、お互いに攻め合い手を結びあい、訳がわからない時代でした。

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最後に、7日の日に大利根町の埼玉大橋の道の駅のホテイアオイを見てきましたが、まだ咲いていませんでした。羽生市の羽生水郷公園の池のホテイアオイは咲き始めました。

2007年7月 8日 (日)

伊豆高原

7月1日の伊豆高原の桜の里です。キスゲやカンゾウやヘメロカリスでしょうね。みんなユリ科の花でユウスゲなども仲間です。

古今集から素性法師の歌。

     忘れ草

   何をか種と

     思ひしは

   つれなき人の

   心なりけり

(意)忘れ草は何が種だと思っていたら、それは薄情な人の心なのだ!

忘れ草とは忘れな草とは違います。ユリ科のカンゾウ類の総称です。カンゾウの花は1日で萎れてしまいます。人忘れ草とか恋忘れ草とも言われています。私を忘れようとする薄情な恋人こそが忘れ草の種だと言う感じの歌です。せつない歌ですね!

カメラはE-510です。手振れ補正が効いています。

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伊豆の家

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2007年7月 7日 (土)

行田市古代蓮の里1

今日は七夕ですね。本来は旧暦の7月7日の行事を新暦7月7日に行うのは少々問題があるのかもしれません。新暦の晴天確率は30%、旧暦では47%だそうです。旧暦の7月7日はほとんどが立秋以降になるので七夕は秋の季語です。また旧暦7日は上弦の月となり天の川を渡る舟に見立てるようです。日本での七夕は地方によって新暦・旧暦・新暦の一月遅れの3通りがあるようです。我が家の近所は新暦です。

6月5日に埼玉県行田市の古代蓮の里へ行って来ました。現地に着くのが9時近くなってしまいましたが蓮の花は綺麗でした。蓮の花の寿命は4日間です。早朝花が開き昼前には蕾んでしまいます。行田の古代蓮は大賀蓮とは違うのでしょうか?大賀蓮のほうが古そうですね。大賀蓮は同時に発掘された遺物から約2000年前と言われています。行田の古代蓮は1390年前±65年との研究結果が発表されています。行田の古代蓮は昭和46年にゴミ焼却施設の造成工事で地下に眠っていた蓮の種が自然に発芽しました。昭和48年に造成工事で出来た池に蓮の葉が浮かび大騒ぎになったそうです。古代蓮は行田蓮と呼ばれ、上品な濃いピンクの花で大型です。色は素晴らしい自然の色です。

古今集の秋歌上から紀友則の歌。

     天の川

   浅瀬しら波

     たどりつつ

   渡りはてねば

   明けぞしにける

(意)天の川の浅瀬を知らないで、白波をたどりながら渡り切らないでいると、夜が明けてしまった。

「白波」と「知らな」とは掛け言葉。彦星が織女のいる対岸に渡る浅瀬を知らなくて、探しているうちに夜が明けてしまったと解釈するのか、あるいは逢えても思いが充ち足りないうちに夜が明けて別れなければならないことを歌ったとの説もあるようです。

もう一つ古今集秋歌上から読み人知らず。

     恋ひ恋ひて

   逢ふ夜はこよひ

     天の川

   霧たちわたり

   あけずもあらなむ

(意)1年中恋い慕ってやっと今夜逢えるのだ。霧よ、天の川にいっぱいに立ちこめて今夜が永遠に明けないようにしてほしい。

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2007年7月 6日 (金)

花之江の郷1

6月27日上三依水生植物園の帰りに栃木県都賀町の花之江の郷へ行って来ました。夕方近くで雨が降りそうでしたので少し暗かったです。蓮の花も翌朝に備えて眠っていました。蓮の花の寿命は4日間だけです。花之絵の郷は本当に素晴らしい植物園です。毎回、花を堪能できます。花之絵の郷の近所の東北道から見える「都賀の里」の蓮の池も蓮が沢山咲いていました。蓮の花は朝だけですので、なかなか回りこめません。

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2007年7月 5日 (木)

原市沼の古代蓮

7月3日に埼玉県上尾市と伊奈町の境にある原市沼の古代蓮を撮ってきました。ここの蓮は行田市の古代蓮を分けてもらったそうです。昔はこの沼のそばの高台に伊奈氏の館跡がありました。伊奈氏は徳川家康に従って関東へ入り伊奈町の小室で1万石の大名となりました。徳川幕府の関東郡代として関東八州各地の開発に貢献し関八州の検知(備前検知)を実行し甲斐代官も兼任し遠州・駿河・三河の代官も兼務しました。関東各地に残る備前掘や備前堤の名前は伊奈備前守忠次の官職名です。彼の功績は荒川と利根川の付け替えや各地の新田開発や河川改修など江戸幕府の創生期の基礎を作った大経済官僚大名でした。この沼は江戸時代はもっと広くて蓮の花が咲き誇っていたようですが、いつの間にかに絶えてしまいました。伊奈家はその後、相続の問題で一度改易となり旗本に組み入れられましたが忠次の二男の忠治が七千石の旗本として関東郡代として復活し、埼玉県川口市の赤山に館を移し郡代屋敷としましたが伊奈忠尊の代に寛政四年の天明の打ち壊しの時の関東郡代として諸国の米を緊急輸送して庶民に配った時の責任を取らされて、幕府内の政変に巻き込まれ改易となりました。

原市沼の古代蓮はかなり開花が進んでいるようでした。例年より早いですね。早めに行かないと終ってしまいます。昼前には花を閉じてしまう蓮が多いので御注意を!中国では昔から「菊を隠逸の花、牡丹を富貴の花、蓮を君子の花」と言ったそうです。数千年前から世界中で栽培され主に蓮の実を取っていたのでしょう。食用のレンコンは蓮の根・地下茎です。レンコンを食べるようになったのは鎌倉時代に中国から食べ方が伝来したとも言われています。日本の古代蓮は昭和26年植物学者の大賀博士が地元中学生達と落合遺跡(東京大学検見川厚生農場・千葉市花見川区)で3粒の蓮の実を地下6メートルで発見し2粒は失敗したが1粒が発芽に成功しました。分析の結果約二千年前の蓮の実と判明し、その後全国に普及しました。この古代蓮は大賀蓮とも呼ばれ、花弁の数が現在の蓮に比べて少ないそうです。行田市の行田蓮は昭和46年、ゴミ焼却場の建設現場で偶然掘り起こされ自然発芽したそうです。年代測定で1400年~3000年前の蓮といわれています。私には大賀蓮と行田蓮の区別がつきません。両方とも綺麗なピンクの蓮です。

今回のカメラはE-510、レンズはED50-200mmとED40-150mmです。新しいレンズの40-150mmは少し暗いレンズです。手振れ補正が効いてくるレンズです。オリンパスは全体的にAFが良くありません。それと相変らすAFフレームが横3点です。少なくとも5点は欲しいですがMFカメラメーカーの名残なのでしょうか!それとカメラで画像再生時の液晶の色が少しおかしいです。テレビやパソコンで見ると正常なのですが、後でサービスに持ち込んでみようかと思っています。

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古今集から遍照法師の歌。

     はちす葉の

   にごりにしまぬ

     心もて

   なにかは露を

   玉とあざむく

(意)沼などに咲く蓮(はちす)の花は、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる。その葉に置いた水滴のきらめきは玉かと見えるほど美しい。清浄な心をもつ人が、どうして人を欺くような事をするのだろうか。

2007年7月 4日 (水)

オリンパスE-510 花の都公園~西伊豆~天神原植物園

6月30日に24日に新しく一部開通した圏央道を使って伊豆まで行って来ました。5時半過ぎに浦和を出発してゆっくり走って7時過ぎには山中湖に着きました。かなり早いです。所沢IC→鶴ヶ島JC→八王子JC→山中湖ICです。関越道→圏央道→中央道→東富士五湖道路と通ってきました。感激するほど便利になりました。首都高を通ると必死に飛ばして2時間ですから富士山が近くなりました。

今回は6月29日新発売のオリンパスE-510とWズームレンズの試し撮りでした。金曜日の夜、銀座で飲んでいたので帰宅は12時近くなり金曜日はケースから出しただけでした。まさにぶっつけ本番の状態でした。使い方はE-1やE-330と似ているのでさほど迷いませんでした。手振れ補正だけは説明書を読みましたが、他は適当に撮りました。使用感は非常に良いカメラだと思います。ゴミ取りは完璧のようです。手振れもビックリするほど効きます。K10Dより明らかにゴミ取り・手振れ補正機能は上です。

とりあえず山梨県山中湖村の花の都公園のポピーです。E-510での画像です。レンズはwズームキットです。安いレンズと馬鹿にしてはいけないようなレンズです。とにかくカメラもレンズも軽い!しかしレンズは暗い。手振れ補正が大活躍するカメラでしょうか!

愛犬は先輩犬ルイ君と妹犬マリアンちゃんです。

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西伊豆の海岸。花の都公園と西伊豆はカメラの設定が良く分からずISO800に設定して撮影してしまいました。ISO800にしてはノイズが少ないです。

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南伊豆町ササユリの里「天神原植物園」です。

E-510とWズームキット

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E-330と50-200mm

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2007年7月 3日 (火)

太平山のアジサイ2

6月19日の栃木県太平山のアジサイの続きです。

藤原定家の拾遺愚草からアジサイの歌。

     あぢさゐの

   下葉にすだく

     蛍をば

   四ひらの数の

   添ふかとぞ見る

(意)日も暮れてアジサイの花も夕闇に沈んで行く。ホタルがアジサイの下葉に集まってくるとアジサイの花(ガクアジサイのガク片は4枚)が増えたように見える。

不思議な事にアジサイは平安時代ではあまり歌に詠われていません。理由は分らないのです。アジサイの葉っぱを大昔はトイレの落とし紙に使ったとの説もあります。平安時代の事典(新撰字鏡)に和製漢字でアジサイを「草かんむりに便」と記されているのが根拠とも言われています。

アジサイは日本固有の植物でガクアジサイです。アジサイを紫陽花と書くのは間違えて紫陽花としたらしいです。もともと中国の唐時代の詩人白居易(白楽天)の漢詩の中で紫陽花詩の詞書で「花の名前は誰も知らない紫で芳香がある花」とあるのを平安時代の辞書「和名類聚抄」の作者「源順」が誤訳したとの説があります。良く分りません。意図的に誤訳したのかも知れません。あまりにもピタリとした誤訳です。私は意図的に誤訳したのではないかと思います。ちなみに現代中国の研究でも白居易の「紫陽花」は何の花か未だに分りません。

しかし、紫陽花→よ(四)ひらの花→宵と連想するとは、昔の日本人の感性の豊かさにはビックリさせられますね!

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2007年7月 2日 (月)

妙高山から飯山市富蔵

6月17日野尻湖からの帰り道、湯沢高原までの道です。

野尻から妙高高原の風景

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妙高山苗名滝。この滝は毎年のように崖崩れで通行禁止になります。10年ほど前に大崩落を起こし数年間はそばに寄れませんでした。昔は対岸に滝までの遊歩道があったのですが崩落で完全に崩れてしまい新しい遊歩道を作ったようです。

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妙高山いもり池

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旧新井市から飯山市富蔵地区。

富蔵は御蕎麦で有名なところです。富蔵の富蔵食堂のお婆さんが蕎麦のつなぎにヤマゴボウのとぎ汁をいれて蕎麦を打ったところ、物凄く美味しかったのでこの地区のお蕎麦はヤマゴボウのとぎ汁をつなぎとして使っています。ここのお蕎麦は絶品です。昔は富蔵地区で数軒の食堂がお蕎麦を打っていたのですが、いまは沢山のお店があるようです。

「鮎正宗」は新井市の2大造り酒屋の一つです。もう一つは「千代のひかり」です。鮎正宗は私の一番好きな日本酒です。美味しいですが関東では扱っている店は数軒しかありません。生産量が少ないのでほとんどが地元で消費されます。鮎正宗の全てのお酒は絶品です。特に大吟醸の1.8Lはなかなか手に入りません。見たら即買えが地元の合言葉です。千代のひかりは東京でたまに見かけることが出来ます。東京には出荷されていませんが「もち米純米」がお勧めです。

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2007年7月 1日 (日)

アンディ&ウイリアムス ボタニックガーデン

6月23日群馬県太田市のジョイフル本田新田店に併設されている「アンディ&ウイリアムス ボタニックガーデン」へ行って来ました。妻と二人でジョイフル本田でガーデニング用品を買いに行ったのですが、私の目的はこの有名なガーデンを見ることでした。バラはほとんど終っていましたが宿根草が盛りでした。あまり引いて撮れませんでした。少し花が汚れている場所があって、なかなか難しかったです。全体的には素晴らしいガーデンだと思います。やはりバラの季節が一番良いのでしょうね。

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2007年6月30日 (土)

上三依水生植物園

6月27日栃木県日光市の上三依水生植物園へ行ってきました。ここは昔は日光市ではなかったはずですが、平成の馬鹿合併で日光市になったようです。場所は塩原です。旧藤原町だったと思います。この水生植物園は小さいですが、なかなかまとまっている植物園ですが都賀町の「花之江の郷」には敵いません。アユ釣りをしている人の一人は女性の様です。珍しいですね。

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2007年6月29日 (金)

所沢ゆり園2

6月24日の所沢のゆり園の続きです。やはり素晴らしい美しさですね。カラフルとでも言いましょうか!人の心にショックを与えるような鮮やかさです。しかし、私はやはり野に咲く可憐な百合が好きですね!6/26にアップした時の式子内親王のユリの歌のようなのが良いですね。あの歌で詠われているユリはササユリに違いないと思いま

万葉集から大伴坂上郎女の歌。

     夏の野の

   繁みに咲ける

     姫百合の

   知らえぬ恋は

   苦しきものぞ

拾遺愚草から藤原定家の歌。

     さゆり葉の

   しられぬ恋も

     あるものを

   身よりあまりて

   行く蛍かな

拾遺愚草は冷泉家時雨亭文庫に現存している藤原定家の自撰・自筆歌集です。中世以前の自撰・自筆歌集として現存する日本最古のもので、国宝指定されています。この歌は拾遺愚草の1330番目の夏歌です。他にもユリの歌が少々あります。冷泉家は藤原定家の孫冷泉為相(ためすけ)を初代とする家で和歌の家としての格式を保ち現在まで至りました。冷泉家時雨亭文庫は1980年まで門外不出の文庫で、一部研究者に知られているだけでした。現在はまだ一般公開されていませんが徐々に研究成果が発表されています。

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2007年6月28日 (木)

湯沢高原アルプの里2

6月17日の湯沢高原アルプの里の続きです。山も春から夏に向かっているようです。

和泉式部の歌を後拾遺集から

     さくら色に

   そめし衣を

     ぬぎかへて

   山ほととぎす

   今日よりぞまつ

(意)桜色に染めた春の衣を薄物の夏の衣に脱ぎかえて、山ほととぎすの訪れを今日から待つのだ。

和泉式部の歌にしてはおだやかです。和泉式部の歌は激しく心の中を曝け出すような恋の歌が多いのです。

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話は全く違いますが、昨日塩原の上三依水生植物園へ行って来ました。写真を撮っていたら首筋に巻いていたタオルに虫が・・・。ビシッと痛みが走り慌てて手で払い落しました。小さな蜂だったようです。直ぐにカメラバッグに入れてある薬を塗りました。少し痛みが残り少々腫れましたが薬の効果でしょうか今は何ともありません。やはりこれからのシーズンは薬等をバックに入れておく必要がありますね。皆様もご注意を!

2007年6月27日 (水)

志賀高原一沼と野尻湖畔

6月16日の志賀高原の最後は一沼です。ここは国道に接している沼でレンゲツツジで有名なところです。秋は紅葉の美しさが際立つ沼です。今年はレンゲツツジの花が少ないように思えました。例年はもっと凄いのですが!今年はハイキング道路が一部工事中で一沼から奥に入れませんでした。この奥にもレンゲツツジの綺麗なところがあるのですが、今年はお預けです。

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16日と17日の野尻湖畔です。

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2007年6月26日 (火)

所沢ゆり園1

6月24日埼玉県所沢市のゆり園へ行って来ました。ここは昔は小学生の遠足のメッカだった西武鉄道グループ経営のユネスコ村の跡地です。道路を挟んだ反対側は西武ドーム球場です。ここは約3万坪に50種類、約40万株のユリの咲くユリ園です。このあたりは西武鉄道グループの城下町で、堤義明氏が健在の頃、西武に真正面から逆らえる政治家・首長はいませんでした。逆らえば報復が凄かったのでしょうね!昔、私は西武鉄道の仁杉社長に「西武鉄道は何で踏切だけなんだ。主要道路との交差はガードにするのが当然ではないか!西武鉄道は自分でお金を出さない利益優先のおかしな会社だ」と言った事があります。仁杉社長は「マァ、難しい話はやめましょう」と軽くいなされてしまいました。

この日は9時の開園前にユリ園に着きました。帰る頃はかなりの人が訪れてきました。園内でユリ園の管理をしている人の話を聞きましたが、肥料は特別にあげていないそうです。この土地の地味が豊かだそうです。本当かなと思いますが!プリンスホテルは軽井沢で昔からユリ園を営業しています。7月中旬からです。

色々な方がブログでこのユリ園を載せています。同じところなのですが、みなさん撮り方が違います。面白いですね!みんな正解です。

風雅集から式子内親王の歌

     すずしやと

   風のたよりを

     尋ぬれば

   しげみになびく

   野べのさゆりば

(意)涼しさを届けてくれた風の、その元を辿って行くと、野辺の繁みに靡いている小百合の花に出逢った。

式子内親王の歌は素晴らしい歌が多いです。しかし、どこか悲しく寂しいのです。私は好きです。

小百合と言う百合は存在しないようです。笹百合とか姫(小)百合を指すのではと言われています。「姫」は「秘め」と掛けているので夏草などに隠れて密やかに咲く百合の意味なのでしょうね!山百合のように私・私と自己主張するユリではないでしょう。日本の百合は昔は食用や薬用として用いられました。百合の根(球根)は美味しいですね!以前、ブログに書きましたが、幕末にシーボルトが日本から持ち出したユリ(スカシユリ等)が復活祭を飾る花のイースター・リリーとしてヨーロッパでもてはやされ、それを中心にヨーロッパで品種改良されて明治時代に逆輸入されたようです。東洋には原種と言われるユリが100種類以上存在するそうで、交配されたハイブリット種を入れるとどの位の数のユリが存在するのか分りません。ハイブリッド種の方が芳香が強いとも一般的には言われています。

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2007年6月25日 (月)

志賀高原

6月16日湯の丸高原の後で、万座経由で志賀高原に入りました。

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芳ヶ平の展望駐車場から富士山の頭が見えました。6月に見えるのは非常に珍しいそうです。禿山は白根山で少し煙が出ています。

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渋峠周辺

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木戸池

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長池は志賀高原で一番好きな池です。咲いているのは赤ヤシオとレンゲツツジのようです。この池の奥には信州大学の志賀教育研究施設があります。

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蓮池

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2007年6月24日 (日)

湯沢高原アルプの里1

6月17日野尻湖畔から浦和への帰り道の最後に湯沢高原の「アルプの里」へ行って来ました。昨年の夏にはここで雷と大雨でロープウエイの頂上駅で閉じ込められてしまい酷い目に会いました。

今年はヒメサユリとクリンソウとアヤメが奇麗でした。それとヒマラヤの青いケシですね。

春の歌なのですが、西行法師の山家集から

     風さそふ

   花のゆくへは

     知らねども

   惜しむ心は

   身にとまりけり

(意)風が誘って散らす花が何所へ行ってしまうのか、その行方は知らないが、散るのを惜しむ心は何処かへ消え去ったりしないで何時までも私の身に留まっている。

西行法師の歌は良いでしょう!新古今集の時代なのですが、新古今集風とは一味違うのです。

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2007年6月23日 (土)

コテージガーデン・ステファニー8

6月22日那須烏山市のコテージガーデン・ステファニーでタチアオイが綺麗に咲いているとの話を聞いて雨の中でしたが行って来ました。かなり強い雨が降ってきましたので、E-1で撮りましたが、雨が強くてじっくりと撮る余裕はありませんでした。レンズの玉に着く雨の滴を拭き拭きの撮影でした。これからしばらくはタチアオイの花が綺麗です。私は薄いピンクのタチアオイが好きです。ガーデンは2週間前の鮮やかさは終わっていましたが、今回はタチアオイを中心にしたシットリとした美しさで溢れていました。

源氏物語の藤袴の巻に色々と公家達から言い寄られた玉鬘が兵部卿の宮(光源氏の弟宮)へ数ある言い寄って来た男性の中から唯一人だけ返事をしたためました。「あふひ」とはタチアオイのことです。源氏物語は難しくて長すぎて良く訳が分かりません!もう少し経ったら時間をかけてじっくりと読んでみたい本です。

兵部卿の宮から玉鬘へ

     朝日さす

   ひかりを見ても

     玉笹の

   葉分けの霜を

   消(け)たずもあらなむ

(意)たとえ、ご寵愛を得ても、玉笹の葉の末につけた霜の様な私を忘れないでください。

玉鬘から兵部卿の宮へ 

    心もて

   光に向かふ

     あふひたに

   朝置く霜を

   おのれや消(け)つ    

(意)自分から光に向かう葵でさえ、朝の霜を自ら消しましょうか。霜を消すつもりはありません。

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2007年6月22日 (金)

湯の丸高原

6月16日長野県佐久市から湯の丸高原に抜けて群馬県嬬恋村へ入り志賀高原に向かいました。湯の丸高原はレンゲツツジの大群生で有名なところで大駐車場は満杯の状態でしたがレンゲツツジはほとんどが蕾の状態でした。来週初めが満開状態になると思います。素晴らしいレンゲツツジですよ!群馬県側の鹿沢高原あたりにもレンゲツツジが咲いていましたが大群生ほどのレンゲツツジはありません。レンゲツツジはあたたかい土地だと黄色味を帯び、高度が高く厳しい土地に咲くレンゲツツジは色が濃く鮮やかな色になるそうです。

鹿沢高原の「たまだれの滝」は水量が少ないでしたが周りの緑が綺麗でした。写真が緑かぶりをしてしまいましたが、その方が雰囲気的には好きなので!しかし緑が本当に奇麗な滝です。人の顔も緑色に見えました。堂々と流れ落ちる滝よりも、ひっそりとした滝の方が周囲の緑が綺麗に見えて私は好きです。

1枚目の写真は江戸中期の力士・雷電為右衛門の長野県東御市の生家です。最高位は大関でした。当時の横綱は名誉職でしたので最高位でしょう。松江藩のお抱え力士で生涯の勝率は96.2%でした。強過ぎたので「かんぬき」と「張り手」等を禁じ手とされてのこの勝率です!まさに史上最高の最強の力士でしょうね。ちなみに私は相撲は嫌いです!

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2007年6月21日 (木)

太平山のアジサイ1

6月19日栃木県栃木市の太平山のアジサイを撮りに行ってきました。ここはアジサイで有名なところです。春は桜、秋はモミジの紅葉でも有名です。アジサイ坂を登って行くと最後に太平山神社の本殿に辿り着きます。足もとに注意をしないといけない石段です。ヒールなどでは危ないです。この日は16時近くに太平山に着きました。気温は32度もありましたので大汗を拭き拭きの石段登りとなりました。夕方になって少し暗くなりましたのでシグマの30mmF1.4の活躍の場となりました。やはり明るいレンズは良いですね。色々と言われているレンズですがオリンパスとの相性は結構良いかも知れません。

少し雨が降ってくれないとアジサイも元気が出ないでしょう!アジサイの咲き具合は7分咲きでした。このまま本当の梅雨になれば今週末過ぎが見頃になると思います。北関東ではアジサイと桜で昔から有名な場所です。他に上杉謙信が小田原の北条氏を攻めた後で、太平山で軍備えの閲兵式を行ったと言われる謙信平などがあります。

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2007年6月20日 (水)

メアリーローズ英国庭園

梅雨は何処へ行ってしまったのでしょうか?昨日は夕方の仕事の前に栃木県栃木市の太平山の紫陽花を撮って来ました。紫陽花の中で水不足でしょうか萎みかけの花が数本ありました。物凄い蒸し暑さで16時の時点で32度もありました。

6月16日軽井沢の次に長野県佐久市のメアリーローズ英国庭園へ行って来ました。

メアリーローズ英国庭園は英国の「シシングハーストキャッスルガーデン」をモデルに作られた英国式庭園だそうです。庭園面積は2万㎡で大きい英国風庭園です。浅間山が綺麗でした。佐久あたりからの浅間山は噴火の後がハッキリ見えて軽井沢からの浅間山とは全く雰囲気が違います。英国庭園は少し面白みに欠けていると思いました。もう少し工夫をすれば良い庭園になると思います。

最近の日本のガーデン造りはレベルが上がってきていると思います。形だけでなく色の組み合わせや地形の高低差あるいは花々の高低まで考えないと、ただ花が植わっているだけになってしまします。それはそれでも綺麗なのですが!やはり最終的にはセンスの問題なのでしょうね。センスを磨かないといけないのでしょう。どの様にしたらセンスを磨けるかは知りません。

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2007年6月19日 (火)

雲場池

6月16日に野尻湖への途中軽井沢の雲場池へ行ってきました。ここは秋のモミジの紅葉が有名なところです。モミジの紅葉の綺麗なところは新緑のモミジが綺麗なものです。ここも定説どおりです。早朝7時頃雲場池に着いたのですが、少々風が強く雲場池に映る新緑のモミジは波が立って難しかったですが、風の当たらないところには綺麗に緑が写りこんでいました。ここの素晴らしいところは隣接する高級別荘地(旧軽井沢)の庭の緑と小川です。旧軽井沢の小川は小川と馬鹿にしてはいけませんよ!ほとんどが1級河川です。私の知人が以前、旧軽井沢に別荘を持っていました。地境の杭は葵の紋の付いた石製の杭でした。敷地の中に幅30センチほどの小川が流れていましたがそれも1級河川でした。つまり扱いは利根川や隅田川と一緒です。どのような基準で河川の級数を決めるのか不思議です。

写真が少し暗いかもしれませんが旧軽井沢は湿気が高く暗くてジメッとしています。カビが酷いところです!もともと軽井沢は湿地帯でした。特にプリンスホテル周辺は沼だったそうです。軽井沢周辺は非常に濃い霧が湧きます。

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2007年6月18日 (月)

市内の花々

我が家の玄関前の鉢の中のホテイアオイの葉の上にイモリが2匹住み着いてしまいました。水の中にはメダカが十数匹泳いでします。ヤモリ(爬虫類)・イモリ(両生類)は家の守り神で虫を食べてくれるので少々気持ちが悪いですが追い払うわけにも行かず、そのまま飼っていましたが、先日に相次いで死んでしまいました。最初♀?が死んでしまったので、取り出そうとしたのですが、♂が死んだメスの上に乗って威嚇するので手を出せませんでした。翌日の夕方になり♂も死んでしまいました。飢え死にかもしれません。可哀相な事をしました。♂の♀への庇う姿勢は見事でした。両生類にも感情があるのでしょうかね!

最近の庭に咲く花です。

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市内の花々


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さいたま市内に蛍を呼び戻す運動をしている地域が数箇所あります。なかなか難しいようですが破壊された自然を回復させるのは大変の努力が必要です。

和泉式部の歌を後拾遺集から

     物おもへば

   沢の蛍も

     我が身より

   あくがれいづる

 魂(たま)かとぞみる

(意)恋しさに思い悩んでいると、沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出してしまった魂ではないかと見えるよ。

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2007年6月17日 (日)

東京都庭園美術館

6月12日時間が少しあったので白金の東京都庭園美術館へ行ってきました。時間があれば自然教育園へ行って見たかったのですが、時間がありませんでした。ここは旧朝香宮邸を都が管理しているものです。建物はアールデコ様式で建てられています。朝香宮がフランスで起きた北白川宮運転の交通事故で同乗して重傷を負いフランスでの長期療養をすることになりました。宮がフランス滞在中にアールデコ様式に感銘を受けたため日本に帰国後アールデコ様式で建設させたそうです。この事故で北白川宮はフランスで客死しました。朝香宮は終戦時に陸軍大将として強硬な戦争継続論者でした。東京ゴルフクラブが埼玉県の膝折村に東京から移転した時に名誉総裁であった朝香宮の名前を取って村の名前を朝霞としました。朝香では恐れ多いとのことで香を霞としたそうです。現在の朝霞市です。東京ゴルフクラブはその後、狭山市に移転しました。

アールデコ様式の建物は美しいです。戦後、外務大臣・総理大臣の公邸として利用されたり迎賓館としても利用された時もあったようです。後に西武グループの所有となりましたが現在は東京都の土地になっているようです。邸内は撮影禁止なので撮影は出来ませんが素晴らしい邸宅です。庭園も和風と洋風があります。

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2007年6月16日 (土)

さいたま市染谷花しょうぶ園2

6月14日梅雨入りとなったので、早速雨が降ってきているなか染谷の花菖蒲園へ行ってきました。雨のお陰で人も少なく花も先週よりかなり咲きそろい始めています。場所により9分咲き~3分咲で、平均して6分咲きでしょうか!白赤のシモツケソウも綺麗に咲いていました。アジサイは赤が多く白いアジサイと咲きそろっていました。カメラはオリンパスのE-1に50-200mmで、ソフトはソフトンAを使いました。フードが長いので普通はレンズの玉までは濡れないのですが、途中から少し強い雨となり傘をさしていてもレンズはずぶ濡れでレンズの玉にも雨が付いてしまいました。やはり古いとは言っても防滴防湿カメラとレンズです。濡れても不安感はありません。

新古今集から二首

上東門院小少将の歌。

     なべて世の

  うきになかるる

     あやめ草

   今日(けふ)までかかる

   ねはいかが見る

(意)一般の世の辛さに二人とも泣きましたが、夜も明けても私がまだこのように泣き続けるのをあなたはどの様にご覧になるのでしょうか!

紫式部の返し

     何ごとと

   あやめは分(わ)かで

     今日もなほ

   袂(たもと)にあまる

   ねこそ絶えせぬ

(意)私もなぜか分りませんが、今日もやはり袖に包みきれない涙を流して泣く声が止まらないのです。

凄い歌ですね!大人の歌でしょうね!この歌は女性同士で一夜を語り明かしての歌でしょうね。同性愛だとは思えません。上東門院小少将は藤原彰子(上東門院)に仕えた女房で宮廷サロンのメンバーで紫式部と親交が深かったと言われています。男の薄情さ浮気性を語り合っていたのかも知れませんね!

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2007年6月15日 (金)

明治神宮

6月12日に明治神宮の菖蒲園へ行って来ました。半分ぐらいの人は外人でした。英語・中国語・韓国語・フランス語・ドイツ語等が飛び交っていました。観光コースなのでしょうね。この明治神宮の杜は見事としか言えません。人工林が自然化したものです。明治神宮は大正9年に明治天皇と昭憲皇太后を祭る神社として創建されました。時の総理大臣大隈重信は神宮の杜は伊勢神宮や日光東照宮のように杉と檜の杜にすべきだと主張しましたが、植物学者たちの意見で雑木林にすることになりました。関東ローム層では杉や檜は育ちが悪く、また大正時代にすでに大気汚染が始まっていたようで杉や檜では枯れてしまう心配があったようです。最初は365種12万本の樹木が日本中と台湾・朝鮮から集められて植えられました。最近の調査では247種17万本となっていて、東京の気候に合わない木々は枯れてしまったようです。江戸時代の初期、この地は加藤清正の加藤家の下屋敷として幕府から与えられました。2代目忠広の時に改易され、その後に井伊家の下屋敷となりました。明治時代は近衛師団と第1師団の青山練兵場となりました。菖蒲園の先に清正が作ったと言われる清正井があります。この井戸は江戸時代から数回枯れた事がありますが1年中水が湧いています。この井戸は横井戸で普通の井戸は竪井戸です。水源は最近まで不明でしたが最近の研究で分かってきたようです。しかしその水源からどのような工夫で水が湧いてくるかは現在でもはっきりとは分かっていないようです。一説によると側の大木の根元に加藤清正の工夫が施されているとも言われています。

今日6月15日は旧暦で言えば5月1日だそうです。西行法師の山家集より

     空はれて

   沼の水嵩(みずかさ)を

     落さずば

   あやめもふかぬ

   五月(さつき)なるべし

(意)雨空が晴れて沼の水量が減らなければ菖蒲を刈ることもできません。例年のように菖蒲を軒に葺くことも出来ない5月になるでしょう。

昔は軒先に菖蒲やヨモギを架けほして邪気を祓う風習がありました。

明治神宮の杜

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菖蒲園(6/12の時点で開花数4,781輪だそうです。毎日カウントしているようです)

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最後に、1年前の6月16日に初めてブログを開設しました。1年も続くなんて最初の頃は考えてもいませんでした。みなさんの励ましのお陰だと感謝しております。今後ともよろしくお願いいたします!とりあえずみなさまに御挨拶させていただきます。感謝!

2007年6月14日 (木)

花之江の郷

6月9日コテージガーデン・ステファニーの帰りに花之江の郷へ寄ってきました。前回と同じで今回も雨の中の撮影となりました。今回はE-1を持って行きましたので雨対策は万全でしたがやはり傘をさしての撮影ですので機動性は削がれます。すこし花菖蒲の開花が遅れているように思いました。赤いエゾミソハギが咲き出していました。これは少し早いですね。今年の花は咲き方がオカシイですね。ここのエゾミソハギは満開になると素晴らしいです。ミソハギは盆花とも呼ばれ旧暦のお盆の頃に満開になる花です。シモツケソウも花が開き始めています。ピンクの可愛い花だと思います。栃木県(下野国)に多く咲く花との意味でシモツケと名前が付いたそうです。シモツケソウは草で、シモツケは低灌木です。両方ともバラ科です。ナデシコも咲いていました。万葉集の山上憶良の歌から2首、秋の七草の歌です。

山上臣憶良、秋野の花を詠む歌二首

     秋の野に 

   咲きたる花を

     指(および)折り

   かき数ふれば

   七草の花

(意)秋の野に咲いた花を指折り数えれば七種類の花がある。

     萩の花

   をばな葛(くず)花

   なでしこの花

     をみなへし

   また藤袴(ふじばかま)

   朝顔の花

朝顔の花は今で言えば桔梗の花のことです。最初の歌は5・7・5・7・7で短歌です。2番目の歌は5・7・7・5・7・7で旋頭歌です。

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2007年6月13日 (水)

慶応義塾大学三田校舎

6月1日に大学時代の同級生が経営する会社を三田に引っ越したので様子を見に行ってきました。途中慶応大学の幻の門から校内に入ってきました。麻疹で学校が閉鎖されているかと思ったのですが閉鎖はされていませんでした。全学休校なので校内は学生もほとんどいなくガラ~ンとしていました。校内は私が在学していた頃とは少し違っていましたが雰囲気は残っていました。麻疹の蔓延で都内の大学は休校が相次いでいます。ほとんどの大学が1週間と言う短期の休校ですが、防疫上は最低2週間は休校にしないといけないそうです。2週間休校にすると文部科学省が追加講義を求めてくるそうです。先生も学生も夏季休暇が短くなっては困るとのことなのでしょうか!本当なのかは分かりませんが麻疹の蔓延は防げそうもありませんね。今度の早慶戦で沢山の人々に感染したかもしれません。そもそも中央線沿線の大学から蔓延が始まったと言われています。電車や盛り場での感染が多いのだと思います。蔓延はある程度予想されていたようです。この件について旧厚生省と文部省の責任は大きいと思います。

私の大学のクラスは入学の時70数名でした。教養課程が2年間日吉キャンパスで専門課程が2年間三田キャンパスでした。3年の専門課程に進級できたのは約50名。クラスの1/3は落第したことになります。4年の卒業の時は上から落ちてきた学生が入って70数名に戻っていました。いまは進級が楽勝になったようですが、昔は厳しかったです。成績不良で退学させられた人も多くいました。やはり大学は厳しくすべきだと思います!私も1年の最終試験のフランス語で失敗して進級保留になりました。学部の同学年のフランス語選択の生徒は2/3近くの人が進級保留となり2年生になって追試験を受けました。この試験に落ちて1年生に落とされた学生も多くいました。私は追試験の日に青山のスタジオで部活の資金稼ぎのためのレコーディングがあり試験を最後まで受けると時間がなくなるため担当の先生に頼んで試験時間を私だけ1/3にしてもらいました。担当の先生は、これに落ちたら留年だが覚悟は良いねと念押しをされました。試験当日途中退室のため担当の先生に答案用紙を渡した時、先生が「本当に大丈夫だね!」と再び念押しをされました。どうしたことか結果は学年トップの成績でした。その後、別の数クラスで他の先生から馬鹿で悪い生徒の例として私の名前が出されたそうです。「ちゃんと勉強していればフランス語でAを取れたのに、追試でAを取っても成績表にはCしか付かない。皆も、もっと真面目に勉強しなさい」各クラスには高校の同級生が数人いますのでみんなビックリしたそうです。「アイツそんなに勉強できたっけ?!」

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六大学野球の早慶戦がフィーバーしましたね。ハンカチ王子のおかげでしょうが!私は野球があまり好きではなくて・・・・!私が学生時代に早慶戦に勝って優勝したことがあります。その時私は神宮球場の外野の慶応応援席で応援の手伝いにきた高校生達を指導する立場でした。内野の応援席は応援の花形なので大学生を中心にその下に高校生を入れて応援の指導をします。外野の応援席は高校生を間にはさんで大学生が応援の指導をします。普通の2倍の応援席になりとても大学生だけでは手が回らず高校生の応援を得てまとまった応援が出来ます。慶応の優勝の決まる試合の開門前に、外野席の入場口に拓大の応援団が殴りこんで来ました。私は外野の応援席で高校生と打ち合わせ中でしたが急遽、入口に殴りこみだと緊急呼び出しされて飛んで行きました。拓大の応援団の団員が数人入口で暴れていて、こちら側は手を出す訳にもいかず揉み合いの状態でした。警察を呼ぼうかと相談をしていたのですが、周りを囲んでいた観客の中に私の中学の同級生で拓大の応援団の男がいて、私と顔を合すと彼がニャッと笑って、一声拓大の応援団の下級生に声を掛けて拓大の応援団が一斉に引き揚げて行きました。入口を突破されていたら全員切腹ものでした。その時拓大の応援団員が「何で慶応と早稲田だけ特別待遇なんだ」と言っていました。確かにね~!

2007年6月12日 (火)

武蔵丘陵森林公園2 カモミール畑

6月5日の国営武蔵丘陵森林公園の続きです。カモミール畑とその周辺に咲く花たちです。とにかく広い公園なのでごく一部しか回れません。カモミール畑は花が終わり始めているようでした。まだまだ咲続けるはずなのですが!畑はそばに近寄るだけでカモミール独特の香がしていました。昔から「大地のリンゴ」と言われる香りなのでしょうか?古代から薬として効能の高い花で万能薬とでも言えるのでしょう。人間だけでなく植物の発育を助けるとも言われていました。現実にバラのそばに植えるとバラが健康に育つとも言われています。カモミールの香りがアブラムシ等をを引き寄せてくれるのだそうです。人間には精神の安定やアレルギーの症状の改善等など効能は数えられないほどあります。簡単に言えば香りで病を治すのでしょう。やはり世界最古の薬草とも言われているほど昔から薬効の確かな植物なのでしょうね!カモミールは多年草と1年草の2種類があり、耐寒性のキク科の植物です。

カモミール畑

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カモミール畑への道の途中

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2007年6月11日 (月)

大宮第2公園の花菖蒲と紫陽花

6月8日さいたま市大宮第2公園へ行ってきました。菖蒲園はまだ満開にはなっていませんでした。今週末からでしょうね。紫陽花園は見事でした。これからますます美しくなると思います。今まで雨が少なかったのでもう少し雨が降ると美しくなると思います。ここの紫陽花は見事です。日本紫陽花は椿と並ぶ日本原種の花です。椿は戦国時代末に火縄銃の反対にヨーロッパに渡りました。ポルトガルやスイス・ドイツなどに樹齢数百年の古い椿の巨木があるそうです。満開の椿は言葉に言い表せないほど綺麗だそうです。日本から渡った椿の直系の子孫なのでしょうね。紫陽花は江戸末期の長崎の出島に駐在していた医官シーボルトが国外追放された時にヨーロッパに持ち出しました。当時の紫陽花はガクアジサイでした。昔の日本の紫陽花はガクアジサイ・ヤマアジサイ・エゾアジサイの3種に大別出来たそうで、すべてがガクを持つ紫陽花でした。紫陽花の花はガクアジサイの真ん中の丸い球で、皆さんが綺麗な紫陽花と言っているのは紫陽花のガクの部分です。ヨーロッパでは東洋のバラと言われ多くの品種改良をされて現在の丸い形の色々な色の紫陽花になりました。酸性土壌では青くアルカリ土壌では赤くなるとリトマス試験紙の様に言われていますが、本当のところは分かりません。シーボルトは日本人妻・楠本滝の名前から紫陽花をハイトランゲア・オタクサ(お滝さん)と名付けました。一人娘はお稲と呼ばれ日本最初の女性産科医師と言われました。シーボルトの持ち出した日本のカノコユリの球根は重さで金と同じ値段で取引されたそうです。他にテッポウユリやスカシユリなどはヨーロッパで浮世絵と同じように大変もてはやされたそうです。日本のギボウシ属はシーボルトによりヨーロッパに持ち出されヨーロッパのガーデニングの中で中心的な植物になりました。後年、幕末にシーボルトの追放令は解除されヨーロッパ生まれの息子を連れて再び日本へ帰ることができました。身分は幕府の外交顧問でした。祖国へ帰国前に長崎に戻り家族と再会しました。日本陸軍の祖と言われ幕末から明治の始めまでの陸軍指導者だった長州の医師大村益次郎はシーボルトの娘のお稲の?と言われています。大村益次郎が暗殺者の兇刃に倒れたとき医師として手当てをして数ヵ月後の最期を看取ったのは楠本稲でした。ちなみに日本最初の正式教育を受けた女医は埼玉県妻沼出身の荻野吟子です。

菖蒲園

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紫陽花園

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その他

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2007年6月10日 (日)

コテージガーデン・ステファニー7

6月9日栃木県那須烏山市のコテージカーデン・ステファニーへ行ってきました。朝早起きしました。写真を撮っている時は雨は降って来ませんでしたが、帰る時に降り始めました。ここのところ数日は栃木県は大雨と強風だったそうです。幸いにして雹の被害もなく、雨と風で花は多少痛んでいましたが最後の美しさを見せていました。それにしても今年の雨はシトシト雨ではなくスコールの連続のような雨ですね。木曜日には宇都宮で1時間110mmの雨だったそうです。しかしおかしいですね、さいたま市は連日パラパラ程度の雨で毎日庭に水を撒かなければなりませんでした。やっと昨夜から強い雨が時々降るようになりましたので水撒きからはしばし解放されます。

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2007年6月 9日 (土)

沼津御用邸記念公園

5月27日に伊豆高原からの帰り道に沼津御用邸の西附属邸へ行ってきました。ワンちゃん立ち入り禁止なので、今回やっと入ることが出来ました。ここは昭和天皇や秩父宮、高松宮などの御用邸として明治38年に設置されました。もとは昭和天皇と秩父宮の養育に当たった海軍大将川村伯爵の別荘でした。作家の白州正子の母方の祖父は川村伯爵で、昭和天皇や秩父宮を一時この別荘に預かり養育しました。つまり昭和天皇と秩父宮は幼友達でした。戦後日本のために吉田茂の側近として占領軍のマッカーサー司令官と喧嘩をした男・白州次郎は白州正子の夫です。

白州正子は西行法師と明恵上人の研究者としても知られていました。

西行法師の歌の中で私の好きな歌の一つで小倉百人一首にもとられている歌。

      なげけとて

   月やはものを

      思はする

   かこち顔なる

   我が涙かな

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2007年6月 8日 (金)

花之江の郷

5月31日に栃木県都賀町の「花之江の郷」へ行ってきました。生憎の雨で、車の中でしばらく止むのを待っていたましたが止む気配がないので、傘をさして写真を撮りに行きました。花は数が少ない時でしたが、トリアシショウマ・キショウブ・カキツバタ・キンポウゲ・キスゲ・ホタルブクロ・クリンソウ・ミヤコワスレ・ユキノシタ等が咲いていました。写真を撮るのが大変ですが、雨の中の山野草もなかなか良いですね!緑の中で可愛くチョコっと咲いています。やはり優しく撮ってあげないといけませんね!

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2007年6月 7日 (木)

さいたま市染谷花しょうぶ園

6月6日にさいたま市(旧大宮市)染谷花しょうぶ園へ行ってきました。花はまだ咲き始めです。部分的に7分咲きぐらいの場所もありますが、全体的に来週にならないと咲き揃わないと思います。やはり雨が少し降らないとダメですね!雨で菖蒲の花が生き生きしてくるのですが!

E-330で主にソフトフィールターとPLを使いました。下の方はペンタックスのK10Dで28mmソフトレンズを使いました。やはりソフトの効きが違いますね!

古今集から読み人知らずの歌

     ほととぎす 

   鳴くやさつきの 

     あやめぐさ 

   あやめも知らぬ 

   恋もするかな

(意)ほととぎすが鳴く五月となり家々にはアヤメ(菖蒲)が飾られている。私の恋はあやめ(理性)も失い、ひたすら情熱に流される恋をするばかりだ。

この歌は古今集の恋歌一の最初に出ている歌です。この歌が好きだと言う人が多いです。皆さんは如何ですか!スーッと読める歌ですね。

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夜はさいたま新都心のケヤキ広場の1Fで行われたジャズライブを聴きに行きました。昨年11月のさいたまジャズヴォーカルコンテストの入賞者5人のライブでした。優勝した女性のジャズヴォーカルの上手さにはビックリしました。名前は石井智子さん、凄いジャズ歌手が日本にもいるんですね!凄い上手さでした。他の入賞者とは歌手としてのステージが違いました。彼女のライブを聴きに行きたいです。このコンサートの企画が私の小中の同級生でした。我々の世代はフォーク世代ですが、ジャズやクラッシック大好きだった人達も多かったのです。私もその中の一人でした。

2007年6月 6日 (水)

武蔵丘陵森林公園1 ルピナス

6月5日に埼玉県滑川町の国営武蔵丘陵森林公園へ行ってきました。ルピナスの群生とカモミールの群生を撮ってきました。ルピナスもカモミールも今週一杯までのようです。ルピナスは来週には抜かれて他の花に植え替えられるようです。ルピナスの花は少し盛りを過ぎているようでしたが綺麗でした。やはり先週末が最盛期だったと思います。天気は晴れたり曇ったりで安定せず、とても蒸し暑い日でした。今日はルピナスをアップしました。

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2007年6月 5日 (火)

旧古河庭園

5月28日に旧古河庭園へ行ってきました。京浜東北線の上中里駅から徒歩7分程のところにある都立庭園で明治の元勲 元外務大臣陸奥宗光の別邸でした。後に次男が古河家の養子になった後に古河家に帰属しました。その後、国の土地になり現在は東京都が管理をしています。明治時代の建物は現存していません。現在の建物は大正6年にJ.コンドル氏の設計で竣工したそうです。洋風庭園の設計は同じくJ.コンドル氏、日本庭園の作庭は小川治兵衛氏です。月曜日の午後でしたが見物客でいっぱいでした。やはり午前中早く行かないとダメですね。洋風庭園に咲くバラは終末期にさしかかっているように見えました。

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2007年6月 4日 (月)

コテージガーデン・ステファニー6

5月31日の那須烏山市のコテージガーデン・ステファニーの続きです。五月雨の雨の中の撮影でしたので傘をさして撮りました。

西行法師の山家集から五月雨の歌を

     いかにせん

   その五月雨(さみだれ)の

     名残りより

   やがてを止まぬ

   袖のしづくを

(意)五月雨に別れたその名残を、そのまま引き続き、逢うこともなく、少しも止むことのなく袖にかかる涙の雫をどうしようか。

少し意味が分かりずらいですよね。つまり、長雨そのものの名残と五月雨の時に名残を惜しんで別れたことを歌っています。和歌は文字数の問題があるので掛け言葉が多いのです。それだけに現代語にするのが難しいのです。

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2007年6月 3日 (日)

箱根ラリック美術館&箱根湿生花園

5月26日箱根の箱根ラリック美術館と箱根湿生花園へ行ってきました。

箱根ラリック美術館はルネ・ラリック(1860-1945)の作品を展示している美術館です。彼はアール・ヌーヴォーとアール・デコの間を橋渡しをした装飾美術工芸家です。カフェ・レストランはなかなか雰囲気の良いレストランでした。美術館の中は当然写真撮影禁止です。2枚目の写真は美術館の中庭ですが、美術館の中からはガラス越しで、しかも撮影禁止らしくせっかくの素晴らしいガーデンを撮れませんでした。外から中庭の脇をチョッピリ撮りました。

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箱根湿生花園は昔から一度行って見たい所でしたが、ワンちゃん達がいて行くことが出来ませんでいた。今回はワンちゃん達を連れて行かなかったのでユックリと入園することが出来ました。園内は青いケシが沢山咲いていました。昔は非常に珍しい花だったのですが最近は増えてきているようです。

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さて、皆さんはデジカメを撮る時A(絞り優先)、S(シャッター優先)、P(プログラム)のどれを使っていますか。私はいまはRAWで主にSシャッター優先で撮っています。昔、ポジフィルムを使っている頃はA絞り優先を使っていました。いまではAを使うのはマクロレンズの時だけです。現在オリンパスで撮る時、屋外で撮る場合はSを1/200秒で、ボケを使う時はシャッタースピードを上げます。逆の場合は1/125秒で撮ります。ISOは原則100で、暗い時は400程度まで上げます。本当に暗い時はISOを1600まで上げます。ノイズはパソコンのソフトで補正しています。私は三脚をフィルムの時代は使っていましたが現在は原則使いません。ペンタックスのK10Dは手振補正機なのでSシャッター優先で1/60秒程度まで落とせます。色々試してみたのですがデジカメにはSのシャッタースピード優先のほうが使いやすいです。やはり手振れでの写真の失敗はソフトでは復旧はほとんど不可能です。それを防ぐためにもS優先のほうが良いと思います。それとシャッタースピードや絞りなど色々考えていると写真が撮れなくなります。デジカメはお手軽にバシャバシャ撮るのが一番だと思います。あまり理屈なんか考えない方が良いと思います。最後は経験ですね!楽しくデジカメを楽しみましょう。

2007年6月 2日 (土)

コテージガーデン・ステファニー5

5月31日に栃木県那須烏山市の「コテージガーデン・ステファニー」と都賀町の「花之絵の郷」へ行って来ました。両方とも雨の中の撮影となってしましました。雨は一度も降り止まず、傘をさしての撮影となりました。光が少し足りないかもしれませんが、かえってシットリして良い感じで撮れたのかも知れません。デジカメだとかえって光が上手い具合にまわって綺麗な写真になるにかも知れません。コテージガーデン・ステファニーの花々は最盛期に入り始めたようです。見事です!優しい色のバラがガーデンのポイントに他の花々と組み合わせてあちらこちらで咲いています。ツルバラは枝をのばして咲き出しました。花も次から次と入れ替わって咲きだしています。このようなガーデンは写真を撮る位置を少し変えるだけで全く表情を変えてしまいます。この日の続きは近々アップする予定です。

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2007年6月 1日 (金)

秩父宮記念公園

5月26日御殿場の秩父宮記念公園へ行ってきました。この地は戦中戦後と秩父宮の別邸でした。ここに戦争中は弟宮の高松宮の御夫婦と滞在されていたこともあるそうです。建物の母屋は享保8年(1723)に建てられたそうです。この日は残念ながら富士山の方向にに雲が厚くたち込めて富士山を見ることが出来ませんでしたが、天気が良ければ母屋から前面に富士山が見えるそうです。ガーデンは秩父宮メモリアルガーデンと呼ばれているそうです。綺麗な庭でした。

話が変わりますが、以前ブログに書きましたが浦和レッズの誘致に協力をしてくれて(三菱自動車サッカー部の当時の森監督に浦和からJリーグへ加盟するように話をしてくれた)私の昔の上司で大学の先輩だった方の奥さんが高松宮妃の姪御さんでした。昔、彼が高松宮邸でのパーティーに呼ばれ本人はタキシードを着て奥さんはイブニングドレスを着て高松宮邸に出かけたそうです。ただし車は仕事で使っていた汚いセドリックのワゴン車で出かけたところ、交通整理のガードマンの案内で辿り着いた場所が台所の前だったそうです。違うんだ招待された客なんだと説明するのが大変だったそうです。奥さんからはこんな恥ずかしい思いをしたのは生まれて初めてです。離婚しますと言われたそうです。その事件以来、高松宮邸へ行く時は弟さんのジャガーを借りて行ったそうです。いま彼はベンツに乗っています。華族から奥さんをもらうと付き合いが大変ですね。彼は亡くなった高円宮様から時々サッカーのVIP席の切符を手に入れてきました。彼に何度か誘われたのですが、何時も仕事で行けませんでした。いま考えるともったいない事をしました。

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2007年5月31日 (木)

忍野村

5月26日伊豆高原へ行ってきましたが、東名道路を使わず中央道で忍野村経由で箱根を抜けて行きました。今回は忍野村の「ますの家」の庭園からです。最後は山中湖からの富士山です。この後、霧と黄砂が出てきて富士山は日曜日まで見えませんでした。「ますの家」は料亭です。ここの庭は綺麗なので有名です。最近、入場料?として200円を箱に入れるようになりました。

忍野村の後で「花の都公園」へ行きましたが、花は全く咲いていませんでした。丁度、端境期だったようです。

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富士山はやはり日本一の山ですね!美しい!この山も万葉の時代には噴火の繰り返しで徐々に今の形に近い山に成りかかっていたのでしょうね。昔の富士山は今の富士山とは姿形が全く違っていたのでしょう。

万葉集から山部赤人の長歌と反歌。山部赤人が歌った場所は静岡県庵原郡の由比あたりと言われています。(安藤広重の東海道五十三次油井)

天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴(たふと)き 駿河なる 布士(ふじ)

の高嶺(たかね)を 天の原 振り放(さ)け見れば

渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行(ゆ)きはばかり

時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不尽(ふじ)の高嶺は

(意)天と地が別れて出来た時からずっと、神々しく、高く壮大な、駿河の富士山。その高嶺を、天空はるか振り仰いでみれば、空を渡る太陽もその背後に隠れる程。夜空に輝く月の光も見えない程。雲もその前を通り過ぎることを憚る程。そして、季節にかかわらず雪が降り積もっている。そんな霊妙な富士の高嶺を、いつの代までも語り継ぎ、言い継いでゆこう。

田子(たご)の浦ゆ打ちて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける

(意)田子の浦を出て広い場所に出ると、真白に富士の高嶺に雪が降り積もっていた。

新古今集などでは下記のような歌になっています。

田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

私は万葉集の歌の方が力強くって好きですが・・・・!新古今集は見せかけは美しく素敵なのですが・・・・!

お詫び・・・・昨日からココログが少しおかしくなっているようで、時々改行等が出来なくなったりブログの写真などが消えてしまったりしています。御迷惑をおかけしますが困ったものです!

2007年5月30日 (水)

旧田母沢御用邸公園

5月20日に日光の植物園の後で隣の旧田母沢御用邸へ寄ってきました。御用邸は大正天皇が療養のため長期滞在した場所で、現天皇が第二次世界大戦中に疎開していた場所でもあります。現在は栃木県に管理が移管されているようです。御用邸の建物の中は現在公開されていて写真撮影は自由です。庭園は現在ヤマツツジが満開でした。隣の日光植物園とは接していて、一部旧御用邸の庭が日光植物園に移管されています。

Imgp8089 これは関守石(せきもりいし)とも止石(とめいし)とも言われている茶道での決まりごとだそうです!丸い石に黒っぽい縄(蕨縄や棕櫚縄)で十文字や三つ掛けに結んだもので、立ち入り御遠慮下さいとの意味だそうです。庭園に一つだけ置いてありました。



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2007年5月29日 (火)

4月末の野尻湖とその周辺2

1ヶ月ほど前の4月末の野尻湖畔とその周辺の朝です。今年は春の感じが感じられません。例年より春が遅れていました。4月末でもこの日の朝は氷点下近くまで気温が下がりました。山の険しいのは妙高山です。優しい山は黒姫山。野尻湖周辺は場所にもよりますが、妙高山・黒姫山・戸隠連峰・飯綱山が北東から西に見えます。南は斑尾山・志賀高原の山々が見えます。日本で2番目に古い避暑地で、軽井沢が俗化されたので野尻湖畔に宣教師たちが移って来た土地です。

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